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寺沢忠晴
江戸時代前期の肥前国唐津藩の世嗣 (1600-1622) ウィキペディアから
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寺沢 忠晴(てらざわ ただはる)は、江戸時代前期の肥前国唐津藩の世嗣。官位は従五位下・式部少輔。
略歴
肥前唐津藩12万石を治めた寺沢広高の嫡男として誕生。母は妻木貞徳の娘。
慶長16年(1611年)叙任し、慶長12年(1607年)、豊臣姓を下賜された[1]。元和6年(1620年)には徳川秀忠への御目見を果たしたが、家督を継ぐことなく元和8年(1622年)に23歳で早世した。法名は来雲堅従大居士。
代わって、弟・堅高が嫡子となった。
出典
- 『新訂寛政重修諸家譜』11巻
脚注
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