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対馬嘉三郎
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対馬 嘉三郎(つしま かさぶろう、1836年12月14日(天保7年11月7日[1])- 1914年(大正3年)12月24日[2][3][4])は、幕末の弘前藩士、明治期の実業家・政治家。衆議院議員、初代札幌区長。
経歴
陸奥国津軽郡弘前城下代官町[5](現弘前市)で弘前藩士・対馬利助の息子として生まれる[3][5]。箱館戦争に従軍[6]。弘前藩公用人を経て[6]、明治4年7月(1871年)青森県に出仕[5]。明治5年4月(1872年)開拓使に転じ十一等出仕となり、同年11月(12月)開拓中主典に昇進[5]。会計整理、教育、衛生普及、商工業振興などを担当し[3]、1878年7月に退官した[5][7]。
その後、実業界に転じ、開拓使経営の醸造場の払下げを受けて酒造業を経営[5]。また、元開拓使官吏・堀基らと共に札幌の商社の嚆矢である「大有社」を創設し、米穀雑貨輸入販売、海産物輸入業を営んだ[2]。1889年、北海道電燈舎の設立に尽力し、1891年11月、火力発電により営業を開始し札幌に初めて電灯が灯った[2][8]。
その他、北海道拓殖銀行設立委員、札幌区会議員、札幌農学校商議員、函樽鉄道監査役などを務めた[5][6]。1899年、札幌区が設置されると初代区長に就任し、1902年、区長を辞任して第7回衆議院議員総選挙に北海道庁札幌区から出馬するも落選[8]。1903年3月の第8回総選挙では当選し衆議院議員を一期務めた[6][8]。その後も出馬をしたが落選し資産を傾け、札幌商業会議所初代会頭を経て、1912年に資産を整理して東京へ移った[5][8]。
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脚注
参考文献
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