トップQs
タイムライン
チャット
視点
寿原英太郎
ウィキペディアから
Remove ads
寿原 英太郎(すはら えいたろう、1882年(明治15年)8月27日[1] - 1957年(昭和32年)6月17日[2])は、大正から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員、小樽市長。
経歴
北海道出身。富山県出身の寿原猪之吉の長男として生まれる[3]。1906年(明治39年)東京高等商業学校(現一橋大学)を卒業[2]。小間物洋品商を始め、1921年(大正10年)寿原商事を設立し社長に就任[3]。その他、共成 、寿原産業、北洋無尽の各社長、小樽商工会議所議員、小樽市会議員などを務めた[2]。
1932年(昭和7年)2月、第18回衆議院議員総選挙に北海道第1区から立憲政友会公認で出馬して当選し[4]、衆議院議員を1期務めた[2]。
1947年(昭和22年)4月、公選初代の小樽市長に就任し、1期在任して1951年(昭和26年)4月に退任。戦後の復興に尽力し、1949年(昭和24年)開港五十年記念「港まつり」を開催した[5]。
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads