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第18回衆議院議員総選挙

1932年に行われた日本の衆議院選挙 ウィキペディアから

第18回衆議院議員総選挙
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第18回衆議院議員総選挙(だい18かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1932年昭和7年)2月20日土曜日)に日本で行われた帝国議会衆議院議員総選挙である。

概要 内閣, 解散日 ...
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概説

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内務省が発行した選挙ポスター

1931年(昭和6年)12月13日に成立した犬養毅内閣は、政権発足当初、与党立憲政友会が174議席で少数与党を余儀なくされた。満州事変の処理に一段落した後、事変処理の国民的輿望の増大と、政権基盤の強化を目論み第60議会の冒頭にて衆議院の解散・総選挙に持ち込んだ。

選挙戦は、政友会が与党の立場であったことに加え、選挙前に立憲民政党安達謙蔵一派の離党によって分裂していたこと(安達一派は選挙後の12月に国民同盟を結成)、犬養内閣が1931年12月にの輸出禁止を実施し、これを機会に好景気に転換し始めたこと、満州事変と上海事変の戦勝などにより、政友会に有利に展開した。

また、選挙戦術として、レコードトーキー映画などのメディアを使った選挙戦術が新たな試みとして行われた。

しかし、その一方で選挙戦の最中、2月9日に前蔵相であった民政党の井上準之助が暗殺され、さらに総選挙後の3月5日三井財閥の総帥であった團琢磨が暗殺された(「血盟団事件」)ことは政党政治の未来に暗雲を投げかけた。

また、政友会は301議席を獲得して予想を上回る圧勝を収めるのだが、選挙後、中橋徳五郎内相の病気辞任を契機として党内抗争が起こり、これを収拾するのに犬養が手間取ったことから犬養の政権掌握力が低下していくことになる。

一方で、民政党は146議席と100議席以上減少させる惨敗を喫し、党勢の低下に歯止めをかけられなかった。

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選挙データ

内閣

解散日

公示日

投票日

改選数

  • 466

選挙制度

  • 中選挙区制
  • 普通投票(男性のみ)
    • 満25歳以上の男性
    • 有権者 13,237,841

党派別獲得議席

総裁=犬養毅、幹事長=久原房之助
総裁=若槻禮次郎、幹事長=永井柳太郎
委員長=安部磯雄、書記長=片山哲
委員長=麻生久

議員

要約
視点

当選者

 立憲政友会   立憲民政党   社会民衆党   全国労農大衆党   革新党   中立 

*の選挙区は無投票

さらに見る 北海道, 1区 ...

補欠当選等

 立憲政友会   立憲民政党   無所属 

さらに見る 年, 月日 ...

初当選

計123名
立憲政友会
87名
立憲民政党
29名
社会民衆党
1名
全国労農大衆党
1名
中立
5名

返り咲き・復帰

計68名
立憲政友会
58名
立憲民政党
7名
社会民衆党
2名
中立
1名

引退・不出馬

計76名
立憲政友会
15名
立憲民政党
52名
国民同志会
4名
中立
5名

落選

計99名
立憲政友会
2名
立憲民政党
89名
社会民衆党
2名
全国労農大衆党
1名
革新党
1名
中立
4名
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脚注

参考文献

関連項目

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