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小山諏訪神社
熊本県熊本市東区にある神社 ウィキペディアから
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小山諏訪神社(おやますわじんじゃ)は、熊本県熊本市東区にある神社。拝殿前には大楠の神木がある[1]。御本社は長野県の諏訪大社。
祭神
歴史
陣内志談[2][3]の中にある「合薩戦記」によると、天正13年(1585年)秋、薩摩の島津勢を迎えた合志氏は、石原狩野介吉利を総大将として今石城[4]に1,500人が立てこもり迎え撃つこととなった。薩摩勢の大将は勇猛で知られた川上左京で、2,500人の兵を率いて白川を挟み相対した。9月2日から3日にかけ死闘を繰り返したが、敵の計略に陥り全滅した。今石城主である石原狩野介吉利の墓は白川の対岸にあり、熊本市石原町に「自然石の墓」として建っている。
境内にある「壱千年祭記念碑」には、昭和9年(1934年) の千年祭に社殿が改修されたと記されている[5]。
小山諏訪神社の祠官は石原氏で、祠官としては天正の頃まで遡る。先祖は石原狩野介吉利であり、毎月1日と15日になると彼の墓には榊が供えられ供養されている[6]。
文化財

正平塔 ( 石燈籠 )
小山諏訪神社の境内、本殿の正面から向かって右奥の場所にある。
熊本市ホームページによると、中台は4段に刻み上げ、その上に後補の安山岩の火袋があり、上に笠石と宝珠が載っている。基礎には蓮華座があり、中台にも蕨手文が刻まれている。
竿石(塔身)の一面に昇天龍、他面に、釣り糸を垂れる仙人(神仙)らしき人物・山岳・河川など浮彫りされている。
残り一面に「大工 藤原助次」「正平十二年七月日」と刻まれ、1357年の作である。藤原助次は筑後から肥後にかけ活躍した大工で「坂下阿蘇神社三重層塔」「三ノ宮四方仏」なども手掛けた[1][9]。
祠官一族
交通
脚注
関連項目
外部リンク
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