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小島新一

日本の商工官僚、経営者 ウィキペディアから

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小島 新一(おじま あらかず、1893年2月9日 - 1987年3月3日)は、日本の商工官僚経営者茨城県出身[1]

経歴

1918年東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に高文行政科に合格し、農商務省に入省[1]商工省で貿易局長や事務次官などを歴任[1]1941年日本製鉄取締役に就任し、1945年には副社長に就任し、1946年公職追放を受けて、辞任[1]1952年八幡製鉄副社長として復帰し、1956年1月に社長に昇格した[1]。社長在任時には、戸畑製鉄所堺製鉄所の建設に尽力し、君津製鉄所への進出を決定し、業界の近代化を推進した[2]1962年5月に会長に就任し、1967年5月から相談役を務めた[1]

1970年から1974年までに日本銀行政策委員会委員を務め、日本鉄鋼連盟会長、経済団体連合会副会長、産業構造審議会会長なども歴任した[1][2]

1960年5月に藍綬褒章を受章し、1965年11月に勲一等瑞宝章を受章[1]

1987年3月30日肺炎のために死去[2]94歳没

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脚注

参考文献

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