日本経済団体連合会
主にサラリーマン経営者らで組織された日本の大企業の経営者団体 ウィキペディアから
一般社団法人日本経済団体連合会(にっぽんけいざいだんたいれんごうかい、英: Japan Business Federation、略称:経団連〈英: KEIDANREN〉)は、日本の大手企業を中心に構成された経済団体(利益団体)。
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![]() 経団連会館 | |
団体種類 | 一般社団法人 |
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略称 | 経団連(KEIDANREN) |
設立 | 1961年6月29日 |
所在地 |
〒100-8188 東京都千代田区大手町1丁目3番2号 経団連会館 北緯35度41分19.2秒 東経139度45分48.6秒 |
法人番号 | 1010005018440 |
起源 |
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主要人物 | 会長 十倉雅和 |
活動地域 | 日本 |
主眼 | 日本経済の発展を促進 |
活動内容 | 経済法制、金融資本市場の整備 |
収入 | 65億円(2020年度) |
従業員数 | 228名(2024年4月1日現在) |
会員数 |
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ウェブサイト |
www |

日本商工会議所、経済同友会と並ぶ「経済三団体」の一つで、その中でも影響力は際立って大きく、会長は「財界総理」と称される[1]。かつては経済産業省所管の社団法人であったが、公益法人制度改革に伴い内閣府所管の一般社団法人へ移行した。会員のメンバーは三極委員会の出席者と重複することがある。
組織概要
経団連は、1946年8月16日、日本商工経済会・日本経済連盟会・日本産業協議会・商工組合中央会・全国金融団体協議会・日本貿易団体協議会が統合されて発足し、さらに2002年5月28日、労働組合と対峙する側の日本経営者団体連盟(以下「日経連」。1948年4月12日発足)を統合して発足した団体である[2][3]。
「企業の価値創造力強化、日本と世界の経済の発展の促進」を目的としている[2]。経営者の意見の取りまとめ、政治・行政・労働組合・市民などとの対話、会員企業への憲章遵守の働きかけ、各国政府・経済団体や国際機関との対話をしている[2]。
東証プライム上場企業をはじめ、日本経済の有力企業が多く加盟しているため、その利害が社会問題に対する見解や主張に反映されている。「経団連成長戦略」などの経済発展、企業利益増加を図る政策の提言を行っていて、自由民主党に政治献金を行い、政界・経済界に大きな影響力を持った組織と言われている。経団連の事務局職員は官僚になぞらえて「民僚」と呼ばれ[4]、会長が出身企業から連れてくる政策担当スタッフと共に、会長の記者会見の想定問答や政策提言の文案の作成などの事務作業を一手に引き受ける。
日経連と経団連
もともと、経団連は日本の経済政策に対する財界からの提言及び発言力の確保を目的として結成された組織であり、日経連は労働問題を大企業経営者の立場から議論・提言する目的で結成された組織であって健全な労使関係を哲学としていた。加盟企業のほとんどが両者で重複しており、日経連は労使間の対立の収束とともに役割を終えつつあるとの理由から統合された。
入会資格
人事一覧
要約
視点
創立時会長・常務理事・名誉会員
- 設立時における日本経済聯盟会では、第8回定時会員総会にて定款を改正して名誉会員制度を導入し現在に連なる陣容を整えた[6]。
会長・副会長・理事・監事・審議員会議長・副議長

会長については「日本の中心となる産業」の「中心となる企業」のリーダー(社長・会長・相談役)から選ばれる傾向にあり、歴代会長は原則として製造業のトップが就くという暗黙のルール[7] がある。また「会長としての適性」、「会長活動に必要な資金を企業が捻出できるか」などを判断の上で決定される。会長は俗に「財界総理」[8]、「財界天皇[要出典]」とも呼ばれる。会長は後任や副会長を選ぶ事実上の権限を持つ[7]。なお、経団連会長職はかなり多忙な役職であるため、歴代の多くの会長は就任時に出身企業の会長(もしくはそれに類する役職)に就任し、出身企業の経営自体は社長など後任に任せているケースが多い。
副会長については、各産業(製造業・非製造業)のバランスを考えて選ばれる。現職副会長から次期会長を選ぶのが慣例である[7][注釈 1]。また、審議員会議長(旧評議員会議長)は経団連におけるいわゆるナンバー2のポストとされ、主に非製造業のトップが務める。
経団連首脳(会長・副会長)には共通点があり、かつては全員が男性、60代以上、転職経験なし、サラリーマンとして経営トップに上り詰めたサラリーマン経営者であった[7][9][注釈 2]。2024年現在も若者や女性が少なく単一的な首脳人事に対し、多様性がないと批判されている[9]。
役職 | 氏名 | 所属 |
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会長・代表理事 | 十倉雅和 | 住友化学会長 |
副会長・理事 | 東原敏昭 | 日立製作所会長 |
橋本英二 | 日本製鉄会長 | |
津賀一宏 | パナソニックホールディングス会長 | |
南場智子 | ディー・エヌ・エー会長 | |
小路明善 | アサヒグループホールディングス会長 | |
永野毅 | 東京海上ホールディングス会長 | |
遠藤信博 | 日本電気特別顧問 | |
小堀秀毅 | 旭化成会長 | |
永井浩二 | 野村ホールディングス会長 | |
筒井義信 | 日本生命保険会長 | |
澤田純 | 日本電信電話会長 | |
垣内威彦 | 三菱商事会長 | |
泉澤清次 | 三菱重工業社長 | |
野田由美子 | ヴェオリア・ジャパン会長 | |
亀澤宏規 | 三菱UFJフィナンシャル・グループ社長 | |
長澤仁志 | 日本郵船会長 | |
髙島誠 | 三井住友銀行会長 | |
兵頭誠之 | 住友商事会長 | |
吉田憲一郎 | ソニーグループ会長 | |
事務総長・代表理事 | 久保田政一 | |
専務理事・業務を執行する理事 | 椋田哲史 | |
根本勝則 | ||
常務理事・業務を執行する理事 | 藤原清明 | |
井上隆 | ||
原一郎 | ||
長谷川知子 | ||
監事 | 内田晴康 | |
土岐敦司 | ||
役職 | 氏名 | 所属 |
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審議員会議長 | 冨田哲郎 | 東日本旅客鉄道会長 |
副議長 | 早川茂 | トヨタ自動車副会長 |
大橋徹二 | コマツ会長 | |
菰田正信 | 三井不動産会長 | |
安永竜夫 | 三井物産会長 | |
時田隆仁 | 富士通社長 | |
小坂達朗 | 中外製薬特別顧問 | |
魚谷雅彦 | 資生堂会長 | |
満岡次郎 | IHI会長 | |
西澤敬二 | 損害保険ジャパン会長 | |
安川健司 | アステラス製薬会長 | |
原典之 | 三井住友海上火災保険会長 | |
柿木真澄 | 丸紅社長 | |
稲垣精二 | 第一生命ホールディングス会長 | |
内田高史 | 東京ガス会長 | |
井上和幸 | 清水建設社長 | |
漆間啓 | 三菱電機社長 | |
中田誠司 | 大和証券グループ本社会長 | |
石井敬太 | 伊藤忠商事社長 | |
次原悦子 | サニーサイドアップグループ社長 | |
(2024年5月31日現在)
名誉会長
- 歴代会長が就任している。
(2019年7月1日現在)
旧経団連・旧日経連における歴代会長
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※初代の諸井貫一から3代目加藤正人までは『代表常任幹事』制を採用。 |
日本経済団体連合会歴代会長
歴代評議員会議長〔審議員会議長〕
- 評議員会議長〔審議員会議長〕は経団連におけるいわゆるナンバー2のポストとされる。
代数 | 歴代評議員会議長 | 所属企業 | 在任期間 |
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初代 | 斯波孝四郎 | 日本海事協会 | 1946年8月16日 - 1948年3月16日 |
2代 | 高橋龍太郎 | 日本商工会議所 | 1948年3月16日 - 1952年3月27日 |
3代 | 石坂泰三 | 東京芝浦電気 | 1952年3月27日 - 1956年2月21日 |
4代 | 菅礼之助 | 東京電力 | 1956年5月24日 - 1968年5月24日 |
5代 | 佐藤喜一郎 | 三井銀行 | 1968年5月24日 - 1974年5月24日 |
6代 | 河野文彦 | 三菱重工業 | 1974年5月24日 - 1980年5月23日 |
7代 | 岩佐凱実 | 富士銀行 | 1980年5月23日 - 1986年5月28日 |
8代 | 山下勇 | 三井造船 | 1986年5月28日 - 1990年12月21日 |
9代 | 松澤卓二 | 富士銀行 | 1990年12月21日 - 1994年5月27日 |
10代 | 齋藤裕 | 新日本製鐵 | 1994年5月27日 - 1998年5月26日 |
11代 | 関本忠弘 | 日本電気 | 1998年5月26日 - 1998年10月23日 |
12代 | 那須翔 | 東京電力 | 1999年5月25日 - 2002年5月28日 |
代数 | 歴代評議員会議長〔審議員会議長〕 | 所属企業 | 在任期間 |
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初代 | 那須翔 | 東京電力 | 2002年5月28日 - 2002年9月9日 |
2代 | 森下洋一 | 松下電器産業 | 2003年5月27日 - 2006年5月24日 |
3代 | 西室泰三 | 東芝 | 2006年5月24日 - 2008年5月28日 |
4代 | 米倉弘昌 | 住友化学 | 2008年5月28日 - 2010年5月27日 |
5代 | 渡文明 | JXホールディングス | 2010年5月27日 - 2014年6月3日 |
6代 | 岩沙弘道 | 三井不動産 | 2014年6月3日 - 2018年5月31日 |
7代 | 古賀信行 | 野村ホールディングス | 2018年5月31日 - 2022年5月31日 |
8代 | 冨田哲郎 | 東日本旅客鉄道 | 2022年6月1日 - |
※2012年4月より、審議員会議長。 |
沿革
要約
視点
→「日本商工経済会」も参照
- 日本経済連盟会
1922年(大正11年)8月1日に井上準之助、内藤久寛、池田謙三(第百銀行頭取)、中島久万吉、井坂孝、串田万蔵、大橋新太郎、藤山雷太、和田豊治、郷誠之助、団琢磨の11名を発起人として日本経済聯盟会(経済聯盟)が結成され[6]。1923年(大正12年)に日本工業倶楽部にて財界から代表者が出席し、第一回会議総会が開催された。
- 大正11年8月1日より同12年3月31日に至る事業及事務報告の件
- 前記期間の収支計算報告及其承認の件
- 大正12年度予算書承認の件
- 定款第7条第2項中「常務理事12名」を「常務理事18名」を改むる件
- 出席者[15]
- 団、和田、池田、井上、井坂、串田、中島、内藤、大橋、藤山、郷、生田定之、石島為三郎(日清製粉常務)、伊東米次郎(日本郵船社長)、伊藤米蔵、原富太郎、西村総左衛門、奥村久郎(東神倉庫常務)、太田半六、河村良平、金子元三郎、神田鐳蔵、笠井準司(笠井商会社長)、田口忠蔵(中井銀行常務)、塚越卯太郎(日本人絹パルプ専務)、七海兵吉(三井鉱山常務)、植村澄三郎、植竹竜三郎、能見愛太郎(三菱鉱業常務)、倉知誠夫、山田敏行、山名次郎、柳荘太郎、安田善助、増田義一、前山久吉、松浦積、藤原銀次郎、昆田文次郎、有賀長文、秋田宗四郎、愛甲兼達、斉藤浩介、結城豊太郎、湯川寛吉、宮島清次郎、斯波忠三郎、正田貞一郎、諸井恒平、持田巽、鈴木春、末延道成、堀啓次郎
旧経済団体連合会の略歴
- 1922年(大正11年)8月 日本経済聯盟会(経済聯盟)結成[16]。東京、大阪、神戸の3都市に支部が設けられる。
- 1939年(昭和14年) 商工大臣で海軍軍人の伍堂卓雄が、商工会議所を統制団体(のちの閉鎖機関の日本商工経済会)化する法案を立案[17]。
- 1940年(昭和15年)8月 戦時統制のため、日本経済聯盟が中心となって、重要産業統制団体懇談会を設立。
- 1941年(昭和16年)1月 懇談会、重要産業統制団体協議会(重産協)に改称。
- 1942年(昭和17年)6月 重産協、重要産業協議会に改称。略称は変わらず。
- 1943年(昭和18年)6月 当時の内閣総理大臣東條英機や商工大臣岸信介らが提出した法案により商工経済会法が成立し、日本商工経済会と47都道府県単位の商工経済会が発足。同法により日本商工会議所は権利義務を日本商工経済会に承継し清算(解散)となった。商工会議所が都市単位で置かれていたのとは異なり、商工経済会は一府県に一つ置かれ、商工経済会が会員に対し経費を賦課し、市町村による徴税と同様に賦課金を徴収することが承認された[18]。同月には続いて戦時行政特例法も施行。
- 1945年(昭和20年)9月 敗戦後、日本経済聯盟会・重産協・日本商工経済会・商工組合中央会によって、経済団体連合委員会を結成。
- 1946年(昭和21年)1月 当時の内閣総理大臣吉田茂らは18日、GHQ覚書に基づき商工経済会の廃止法案を提出。
- 1946年(昭和21年) 日本商工経済会国際局が国際経済事情叢書を発行[19]。
- 1946年(昭和21年)8月 重産協を継承して、日本産業協議会(日産協)設立。
- 1946年(昭和21年)8月 日本経済聯盟会・日産協・日本商工経済会・商工組合中央会・全国金融団体協議会・日本貿易団体協議会が中心となって経済団体連合会設立(日本経済聯盟会が解散)。
- 1946年(昭和21年)9月 帝国議会は5日「商工経済会法を廃止する法律」を可決し日本商工経済会を解散。
- 1947年(昭和22年)8月 日本貿易会を傘下とする[20]。
- 1952年(昭和28年)11月 経済団体連合会が日本産業協議会を合併。
近年の動き
要約
視点
事件など
- 1977年3月3日、経団連ビルの会長室に銃で武装した右翼4人が押し入り人質とともに立てこもる(経団連襲撃事件の項を参照)[21]。
- 2005年6月に発覚した橋梁談合事件によって、経団連からは三菱重工と新日本製鐵(新日鉄)が起訴処分となった。それを受けて、経団連内では西岡喬(三菱重工会長)と三村明夫(新日鉄社長)の処分を如何にするかで難航。結局、更迭等の処分にはせず「謝罪」にて事態を収めたが、これは以下の要因が役員の政策決定の場に影響を与え結果的に「軽い処分」となったものと考えられる。
- 現職役員が所属する社の刑事処分は過去にも例があること。
- 新日鉄の三村、三菱重工の西岡とも社の談合関与を率直に認め経団連の定例会見でもその旨、説明責任を果たしたと認められたこと。
- 三村は最年少副会長であると同時に次代の会長候補であり、その芽を摘むことは避けたかったとの思惑があったこと。
- 2005年12月5日にライブドアの経団連入会を全会一致で承認した。だが2006年1月16日にライブドアが東京地検に証券取引法違反容疑(ライブドア事件)で家宅捜索を受けたのを受け、時の会長・奥田碩はライブドア入会は時期尚早過ぎたと発言し今後は経団連入会について基準見直しを行う意向を示した。
- 2008年6月11日午後、東京・大手町の経団連会館受付に40歳くらいの男から爆破予告の電話があり職員30名ほどが自主的に館内から一時避難した。しかし、館内を警視庁丸ノ内署が捜索したが爆発物は発見できず。又、午後3時の爆破予告時刻を過ぎても異常はなかったため悪質ないたずらと見られる。
- 2009年1月6日、JMIUいすゞ自動車支部など8つの労働組合が会長・御手洗あての公開質問状を経団連側に提出したが、「アポイントがない」として受け取りを拒否した[22]。
- 2019年5月、中西宏明会長が東京都内の病院に入院し、日本経済団体連合会会長としては初となる会長職の休業をした[23]。会長代行は置かれず、筆頭格の岡本毅副会長からは「18人の副会長が力を合わせ、業務を遂行する」との説明がなされた[24][25]。
- 2021年5月10日、中西会長がリンパ腫再々発の疑いにより、定時総会が行われる同年6月1日付で会長職を辞任することが明らかになった[26]。住友化学会長の十倉雅和が5月10日の理事会において後任の会長候補に選出され、6月1日付で正式に会長に就任する予定[26]。
推進する政策・主張
財政・金融政策
通商・市場政策
労働政策
- 1961年2月1日、通勤地獄を解消するために提唱していた時差出勤を東京都庁、中央官庁などが採用した[32]。
- 1995年、当時の日経連が「新時代の『日本的経営』 ―挑戦すべき方向とその具体策」の中で労働者を長期蓄積能力型、高度専門能力活用型、雇用柔軟型の3グループに分けるべきと提言。そのうちの高度専門能力活用型と雇用柔軟型の2つが、非正規雇用の温床になるという批判がよくなされる[33]。
- 2005年6月21日、 ホワイトカラーエグゼンプション(労働時間規制適用免除制度)の実現を促す提言を行い、2007年9月11日には厚生労働大臣の舛添要一がそれを「家庭だんらん法」と呼んで導入を図った。しかし、「残業代ゼロ法案」と揶揄され国会にも提出されていない。スキル向上のために手当なし・休日返上で出勤したいような若者はこの法案の対象の年収900万円以上である可能性はほとんどないなど、提案理由が不透明だと言える。ちなみに、残業禁止のドイツ・オランダはワークシェアリング(パートタイム経済)で失業率を抑制している。
- 2009年10月5日、金融・郵政改革担当大臣の亀井静香は、東京都内で行われた講演会で、「日本で家族間の殺人事件が増えているのは、(大企業が)日本型経営を捨てて、人間を人間として扱わなくなったからだ」と述べ、時の会長・御手洗冨士夫に「そのことに責任を感じなさい」と言ったというエピソードを紹介した。御手洗は「私どもの責任ですか」と答えたという[34][35]。「ため込んだ内部留保をそのままにしといて、リストラをやっている。人間を人間扱いしないで、自分たちが利益を得る道具として扱っている」「昔の大企業は苦しい時に内部留保を取り崩して下請けや孫請けに回した。今はリストラだけをしている」とも述べ、派遣契約解除問題を批判している[36]。しかし、製造業派遣の全面禁止などが雇用情勢の悪化や工場の海外移転を促進するという観点から、民主党政権はマニフェストを撤回し2012年3月に改正派遣法が成立している[37]。
- 2008年10月14日、「人口減少に対応した経済社会のあり方」[38] と題する報告書を発表、従前の移民受け入れ政策を改めて強調している。
社会保障政策
国家体制
エネルギー政策
![]() | この節は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。 (2012年9月) |
設立当初から、東芝(傘下にウェスティングハウス・エレクトリック)、日立(関連企業にGE日立ニュークリア・エナジー)、三菱重工業など原子力プラントに技術力をもつ企業や日本の主要電力会社(東京電力、中部電力など)が経団連に参加している。なお、3.11の東日本大震災以降、エネルギー政策の見直しや脱原発運動が高まる中、経団連内部においても再生可能エネルギーの普及を推進するソフトバンクや、電力会社のあり方に疑問を呈する楽天など一部の会員企業から経団連の原子力推進姿勢の堅持に対して内部批判を受けたが、現執行部は少数意見だとしている。 なお、楽天は2004年に加盟したが、経団連が発送電分離や独占自由化に対して後ろ向きであることが原因で[40]、2011年6月に退会した[41]。
イギリスの気候変動シンクタンクであるインフルエンス・マップによると、経団連に所属するごく一部(日本のGDPの10%)の電力、鉄鋼、自動車、セメント、電気機械、化石燃料産業による火力発電の増強を求める強力なロビー活動が反映されているため、日本の気候政策はIPCCやパリ協定の目標と一致しない[42]。
経団連の原発政策に関するスタンス
政治への働きかけ
- 1954年に造船疑獄事件が政財界を揺るがす大事件を中心になったこと、東西冷戦構造の中、経営者は資本主義体制を支える政党をする必要があったことから、経団連が献金を取りまとめる「経団連方式」の政治献金が開始された。「経団連方式」とは、経団連が総額を決めた上で企業に負担能力に応じた献金額を割り振る方法であり、ほぼ100%の会員企業が斡旋の呼びかけに応じていた。毎年、自民党本部に100億円以上、民社党に10億円程度寄付していた[44]。また経団連は「自民党の金庫」と呼ばれた[45]。
- 1955年に造船疑獄事件の反省から経済人が経済再建懇談会を結成し、事務を経団連総務部長の花村仁八郎、同次長の久保田富雄が担当した。1959年に安保闘争に対抗して政財界や中小企業、文化人、婦人・青年団体等の代表者が自由国民連合を結成したが、両者は1961年に合併し、国民協会(後に国民政治協会に改称)が発足した。経団連は国民協会を支えてきたが、第10回参議院議員通常選挙の金権選挙批判やロッキード事件を受け、会長の土光敏夫は国民協会との関係を破棄した。国民政治協会への改称後、組織を建て直し1981年の協会創立20周年記念式典には会長の稲山嘉寛が招かれている。
- 献金斡旋を1993年に一旦中止した。理由は、1988年に発覚したリクルート事件、ゼネコン疑獄などの汚職が大問題となり、国民からの批判が高まったこと、バブル崩壊で各企業の売り上げにばらつきが出て業界ごとの献金調整が破たんしたことだと一般に言われているが、55年体制の終焉で保守が並び立つようになったという時代背景も影響している[44]。中止以降は自民党の政治資金団体である、前述の国民政治協会が直接、業界や企業に献金を要請していたが、企業・団体の献金は2002年には26億円と、かつてより大幅に減少した。
- 2004年には企業への献金の斡旋を再開した。「経団連方式」とは違い、冷戦終結後の政治状況の中、「優先政策事項」に対して自民党と他の野党をそれぞれ評価し、各企業の「自発的な」献金を促進する方式にした(#経団連による「政策評価」と会員企業の政治献金も参照)[44]。2004年度の会員企業の政治献金は自民党向けが22億2000万円、民主党向けが6000万円。両党以外の他党への献金は無かった[46]。
- 以前は自民党だけでなく野党第一党の民主党と勉強会・懇談会を開催するなど、特定政党への偏りをなくすため「幅広い政党支持」を打ち出していたが、2005年の第44回衆議院議員総選挙では同年8月24日に自民党の単独支持を決めた。
- 2010年3月8日に、経団連としての会員企業へ政治献金の斡旋を取りやめ、献金は各企業ごとの自主的判断に任せる旨の声明を出した一方で、アメリカ合衆国などを参考に、個人献金の拡大策を検討し、政府に働きかける意向を示した[47]。
- しかし2014年9月8日、経団連は再び政策評価に基づく会員企業への政治献金の呼びかけを再開すると発表した。米倉弘昌会長による安倍晋三の金融緩和政策批判を機に政府自民党と経団連の関係が悪化しており、経団連会長の指定席だった経済財政諮問会議の議員ポストを剥奪されるなど冷遇を受けていたため、自民党への金銭支援をテコに関係回復と影響力強化を図るものと見られている。経団連側から献金呼びかけ再開について伝えられた政府は、榊原定征会長を経済財政諮問会議の議員として登用することを決定した[48][49]。
経団連による「政策評価」と会員企業の政治献金
経団連は、会員企業が政治献金を行う際の政策評価基準となる「政策評価」を年度毎に発表している。税財政など複数の項目に対し最も評価が高い「A」から最も評価が低い「E」まで、アルファベットでランク分けされているのが特徴である。以前は共産党などの少数政党の評価もしていたが、最近は自民党と民主党の評価のみを発表している(共産党は財界団体が政党を比較評価すること自体を非難し、財界が金で与党を支配している実態があらわになったものだと主張している)。
2007年度の政策評価は自民党は去年と代わらず高い水準だったが民主党への評価は6項目で評価が下がるなど、大幅ダウンとなった。特に民主党の雇用、労働政策には「ホワイトカラーエグゼンプションに絶対反対の立場をとっており、労働者の均等待遇原則や有期契約の規制強化等を盛り込んでいる」と激しく批判しており評価も「D」という低いものだった[50]。
また、2007年2月23日に行われた衆議院予算委員会の中で共産党の佐々木憲昭は、経団連が自民党に対し2004年に22.6億円、2005年の25億円の政治献金をしていると述べ自民党に対する政策評価表の中にある「A」の数と献金額が比例して増えている事から「経団連の言いなりになればなるほど献金額が増えている」「官邸が経団連に直接支配されている」と批判している[51]。
元民主党代表の岡田克也も、「政策の合致度によって、献金額を決めるのは贈収賄の問題になりかねない、かなりきわどい問題だ」「経団連という1つの経済界の団体が、そういう形で各企業の政党に対する献金について、いわば介入をするというやり方が、決して良いとは思わない」と批判している[52][注釈 3]。
2010年3月8日、この“政策評価に基づく献金”を取り止め、各企業ごとの自主的判断に任せる旨の声明を出した一方で、アメリカ合衆国などを参考に、個人献金の拡大策を検討し、政府に働きかける意向を示した[47]。しかし前述の通り、2014年9月に再び政策評価に基づく献金を再開すると発表した。
書籍
- 日本経済団体連合会『希望の国、日本 : ビジョン2007』日本経団連出版、2007年。ISBN 9784818526105 。
関連項目
脚注
参考文献
外部リンク
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