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小川佳実

日本のサッカー審判員 ウィキペディアから

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小川 佳実(おがわ よしみ、1959年6月23日 - )は静岡県出身の元サッカー審判員(国際主審)。アジアサッカー連盟 (AFC) 審判部長(レフェリーディレクター)、日本サッカー協会 (JFA) 審判委員長を歴任した。

概要 個人情報, 誕生日 ...

来歴

静岡県立藤枝東高等学校を経て筑波大学体育専門学群に進学[1]。在学中は蹴球部でプレーし、帰郷後高校教諭を務める傍ら、教員チームでもプレーをした[2]。現役引退後審判としての活動を本格化させ、1994年のヤマザキナビスコカップでは決勝の主審も務めた[3]

1997年3月に教員を辞め、翌月から日本サッカー協会 (JFA) の職員となり、審判部部長代理としてサッカー審判関係の取りまとめに従事[3](この時の業務負担の兼ね合いから1998年に審判員としての活動から退いている)。後にJFA審判部長となり、プロフェッショナルレフェリー制度の立ち上げに尽力した[3]

2006年9月からアジアサッカー連盟 (AFC) に出向[3]国際サッカー評議会 (IFAB) の諮問機関にAFC代表として参加しルール改定に携わった[1]ほか、「中東の笛」などと揶揄されることの多かったAFC加盟協会の国際審判員の質の向上に取り組み[3][4]、AFCレフェリーアカデミー[5]や若手審判員育成のためのフューチャープログラム[6]の立ち上げなどに尽力するなど、2015年までの9年間にわたって活動する。

帰国後の2016年に上川徹の後任としてJFA審判委員長に就任[2]公益財団法人日本プロサッカーリーグの非常勤理事にも就任[7])。年に2回程度だった審判委員会の記者会見(メディアブリーフィング)を定期的に行ったり、Jリーグでの実際のレフェリングを討議する配信番組『Jリーグジャッジリプレイ』をスタートさせるなど、審判の試合での判断を積極的にオープンにしていく活動に取り組む[8]。また、J1リーグにビデオ・アシスタント・レフェリー (VAR) の導入も推し進めた[9]

2020年のJFAの役員交代を機にJFA審判委員長を退任した。

2024年、インドネシアサッカー協会の審判委員長に就任[10]

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挿話

  • 三浦知良三浦泰年兄弟は、静岡学園での教え子だった[3]
  • 現役時代やJFA/AFCで勤務するようになって、他の審判員との食事は意図的に避けていたという。特にAFC時代は「日本人だけがいい思いをしている」と誤解されるのを避けるために、日本人と食事することもなかったという[3]

出典

関連項目

外部リンク

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