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静岡県立藤枝東高等学校

静岡県藤枝市にある高等学校 ウィキペディアから

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静岡県立藤枝東高等学校(しずおかけんりつふじえだひがしこうとうがっこう)は、静岡県藤枝市天王町一丁目に所在する県立高等学校

概要 静岡県立藤枝東高等学校, 過去の名称 ...
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静岡県立藤枝東高等学校

概要

1924年に静岡県立志太中学校として開校した公立高校。略称は「東高」(ひがしこう)、「藤高」(ふじこう)「藤枝東」(ふじえだひがし)。 2年次より、難関大学受験に向けた文理混合・希望制の特別クラス(通称:Sクラス)が設けられている。

文武両道を学校方針として掲げており、志太榛原地区の進学校であるとともに、サッカー部・山岳部をはじめとする部活動も盛んである。初代校長に就任した錦織兵三郎の強い意向で開校時にサッカーを校技に採用した[注 1]ことで、藤枝が「サッカーのまち」と呼ばれる礎を築く[1]。そういった伝統もあり、サッカーの有名校が多い静岡県中部地区の中でも特に有名であり、全国大会の出場も多数(全国優勝10回)。特に長池実監督に率いられた1960年代後半から1970年代前半は同校サッカー部の黄金期であり、国体インターハイ選手権の全国三冠を含む8度の全国優勝を成し遂げた。また、1952年からは天皇杯全日本サッカー選手権大会を3度開催し(下記参照)、1957年第12回国民体育大会(静岡国体)の際にサッカー会場となり、昭和天皇による天覧試合となった。校内にその当時の写真が全国優勝トロフィーとともに飾ってある。

開校時の流れから「サッカーのまち藤枝」の端緒としての色合いが強い校風で、「男子生徒は入学時に全員サッカーシューズ(と柔道着)を必ず購入しなければならない」「年2回行われる校内大会(球技大会)はサッカーを中心として行われる」「冬に開催されるマラソン大会ではサッカー部がスタートの合図を出す」などの伝統が現在も残っている。2009年には人工芝グラウンドが整備され、老朽化・劣化に伴い2018年に改修されている。校庭には1957年の国体の際に昭和天皇観戦のためにスタンドが設置され、現在でも同校OBや地域住民がサッカー部の練習や試合の観覧に訪れている。

他に、サッカー部OBによるスクール活動を母体として2002年に発足したNPO藤枝東FCジュニアユースがある。

1963年榛原郡川根本町(当時の中川根町)に川根分校が設置されたが、1966年静岡県立川根高等学校として独立した。

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沿革

  • 1923年(大正12年)11月 - 文部省告示第449号を以って設立認可。
  • 1924年(大正13年)4月 - 静岡県立志太中学校として開校。
  • 1926年(大正15年)5月 - 校歌制定。
  • 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により静岡県立志太高等学校となる。
  • 1948年(昭和23年)9月 - 定時制課程が併設される。
  • 1949年(昭和24年)4月 - 県下高等学校再編に伴い、静岡県立藤枝高等学校と合併して静岡県立藤枝高等学校となる。旧志太高等学校が東教場、旧藤枝高等学校が西教場となる。
  • 1952年(昭和27年)4月 - 静岡県立藤枝高等学校の東西教場を分割し、静岡県立藤枝東高等学校及び静岡県立藤枝西高等学校となる。
  • 1957年(昭和32年)10月 - 第12回国民体育大会のサッカー競技会場となる。同月27日には昭和天皇香淳皇后が行幸啓[2]
  • 1963年(昭和38年)4月 - 川根本町徳山(旧中川根町)に川根分校を設置。
  • 1966年(昭和41年)3月 - 川根分校が静岡県立川根高等学校として独立。
  • 2024年(令和6年)11月 -静岡県武道館で創立100周年記念式典挙行。
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部活動の実績

サッカー部(全国大会に於いて)
山岳部
  • 2004年(平成16年)8月 - 全国高等学校総合体育大会登山競技大会優勝
  • 2005年(平成17年) - 静岡県高等学校体育大会登山競技 優勝(県大会三連覇達成)→全国高等学校総合体育大会登山競技大会出場
  • 2017年(平成29年)- 静岡県高等学校体育大会登山競技男子 優勝 → 全国高等学校総合体育大会登山競技大会出場
  • 2018年(平成30年)- 静岡県高等学校体育大会登山競技女子 優勝 → 全国高等学校総合体育大会登山競技大会出場
その他の部
  • 2002年(平成14年)8月 - 全国高等学校総合文化祭郷土研究の部(歴史部)最優秀賞
  • 2004年(平成16年)8月 - 全国高等学校総合体育大会(水泳男子1500m自由形)優勝
  • 2016年(平成28年)8月 - 全国高等学校総合文化祭写真・新聞部門出場(写真部・新聞部)
  • 2016年(平成28年)8月 - 全国高等学校総合文化祭囲碁部門出場(棋道部)
  • 2017年(平成29年)8月 - 全国高等学校総合文化祭写真・新聞部門出場(写真部・新聞部)
  • 2017年(平成29年) - 全国高等学校新聞年間紙面審査賞 優秀賞(新聞部)
  • 2017年(平成29年)8月 - 全国高等学校総合文化祭囲碁部門出場(棋道部)
  • 2018年(平成30年)8月 - 全国高等学校総合文化祭新聞部門出場(新聞部)
  • 2018年(平成30年) - 全国高等学校新聞年間紙面審査賞 優秀賞(新聞部)
  • 2019年(平成31年) - 静岡県高等学校体育大会弓道個人 優勝 → 全国高等学校総合体育大会弓道競技大会出場
  • 2019年(令和元年)8月 - 全国高等学校総合文化祭新聞部門出場(新聞部)
  • 2019年(令和元年)8月 - 全国高等学校総合文化祭囲碁部門出場(棋道部)
  • 2019年(令和元年) - 全国高校囲碁選抜大会出場(棋道部)
  • 2021年(令和3年)8月 - 全国高等学校総合文化祭新聞部門出場(報道部)

不祥事

越境入学の規定に違反

2022年2月10日静岡県教育委員会は藤枝東を含む6校の計38人で規定違反が確認されたと会見した。静岡県では原則として公立高への越境入学を認めていないが、保護者と一緒に県内に転居することを条件に認める「学校裁量枠」が存在していた。県教委は「公平公正であるべき県立高校入試制度でご懸念を生じさせた」と謝罪した。[3] サッカー強豪校の県立藤枝東高校(藤枝市)が、「保護者の県内在住」を入学条件とする県教委の規定に反し、少なくとも14年以上、県外生徒をサッカー部員として受け入れていた。出願時に転居の意思を示す書類を受理しながら、実際は転居しないことを黙認していた。元はビジネスホテルだった学校近くの寮について、山田校長は「学校では全く管理していない。民間の経営者が運営している認識だ」と説明した。2022年1月現在、サッカー部員約100人のうち、県外出身の25人と県内の遠方の4人の計29人が生活している。学校側も25年前から黙認状態だった。[4][5][6]

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その他

缶詰製造業の笹野雄太郎は、1924年5月に静岡県立志太中学校の建築費金1万円を寄付している[7]

著名な卒業生

政治

経済

官僚

学術

文化

芸能

サッカー

アナウンサー

その他

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アクセス

周辺施設

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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