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小林光泰
日本のメソジスト教会の牧師 ウィキペディアから
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小林 光泰(こばやし こうたい、1858年8月12日(安政5年7月4日) - 1899年(明治32年)6月2日)は日本のメソジスト教会の牧師。
男子ミッションスクールを設立するための東洋英和学校会社(小林光泰、平岩愃保、土屋彦六、浅川広湖の4牧師による組織)の社長[1]。
女子ミッションスクールを設立するための東洋英和女学校会社の社長[1]。
東洋英和女学校(現:東洋英和女学院中学部・高等部)の設立者・初代校主(理事長)[1]。
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生涯
初期
1858年8月12日(安政5年7月4日)江戸木挽町の諏訪因幡守上屋敷で父小林光信(諏訪藩士)と母ます子(高須藩士山中森京の娘)の子として生まれる[2]。幼名は泰助、後に改めて盛雄[2]。
1875年(明治8年)、海軍会計学舎に第二位で合格するも、眼疾を患って退舎[2]。
1877年(明治9年)、長野県師範学校で学び、その後岡田学校で小学校教師になる[2]。
1878年(明治10年)、父の光信、死去[2]。
キリスト教入信
1878年(明治11年)12月30日、甲府教会でイビーから洗礼を受ける[2]。洗礼を受けた後、イビーを助けて伝道活動に従事する。
1882年(明治15年)上京して牛込教会(現:日本基督教団頌栄教会)の会員になる。
1883年(明治16年)
牧師時代
1883年(明治16年) 東洋英和学校会社、カナダ・メソジスト教会の男女ミッションスクールを計画[4]。
1884年(明治17年)
- 按手礼を受けて牧師になる。
- 4月 牛込教会を離れる[3]。
- 9月25日 東京府知事より東洋英和女学校が設立認可される。初代校主に就任[4]。
- 10月20日 麻布鳥居坂町14番地に東洋英和女学校を開校[4]。
- 11月1日 麻布区鳥居坂町13番地に東洋英和学校が開校[4]。
1885年(明治18年) 麻布教会(鳥居坂教会)の初代専任牧師になる。築地教会(現:日本基督教団銀座教会)の牧師になる。
1887年(明治20年)
1892年(明治25年)
- 1月9日 静岡教会が大火により焼失。
- 11月12日 静岡教会を再建する。
- 12月14日 大火により静岡教会を再び焼失し、また再建する。
1893年(明治26年)6月 甲府教会に8代目牧師として転任する[5]。
1898年(明治31年)6月 再び麻布教会の牧師になり、牛込教会も兼任する。さらに、福音同盟会、矯風運動にも参加する。
1899年(明治32年)
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洗礼を授けた人
脚注
参考文献
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