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小林忠生
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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小林 忠生(こばやし ただお、旧姓:早川、1930年7月7日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。父親は日本海軍中将の早川幹夫[2]、実兄の早川純生もサッカー選手で、東京大学、日本鋼管で活躍した。
経歴
神奈川県立湘南中学校時代の1948年に第3回国民体育大会で準優勝。卒業後は慶應義塾大学経済学部に進学しソッカー部に所属。在学中の1953年には鈴木徳衛と共に日本学生選抜に選出され、1953年国際大学スポーツ週間(ユニバーシアードの前身)に出場した。1954年3月に大学を卒業[3]。卒業後は東京海上火災保険に入社した(勤務先でサッカー部活動を行ったかは不明)。
卒業後も慶應BRB(現役、OBで構成された混成チーム)の一員として1954年、1956年の全日本サッカー選手権大会優勝に貢献。また、1956年6月3日のメルボルン五輪予選、対韓国戦で日本代表デビュー[1]。同年11月のメルボルン五輪本大会にも出場した。
引退後は母校の慶應義塾大学で監督を務めた。
所属クラブ
- 神奈川県立湘南中学校
- 1950年 - 1953年 慶應義塾大学
- 慶應BRB
代表歴
出場大会
試合数
- 国際Aマッチ 3試合 0得点(1956)
出場
脚注
外部リンク
外部リンク
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