トップQs
タイムライン
チャット
視点
小栗孝則
日本の詩人 ウィキペディアから
Remove ads
略歴
東京生まれ。海軍大将の小栗孝三郎の長男[2]。父親の母方の親戚に戸田城聖がいる。
東京府立第一中学校を経て東京外国語学校ドイツ語科中退[3]。1937年の『新編シラー詩抄』のうちの「人質」をネタとして太宰治が「走れメロス」を書いた[4]。
翻訳
- 『ゲーテ以後 訳詩集 第1輯』(河発行所) 1929年
- 『シラー詩集』(改造文庫) 1930年
- 『この人を見よ』(フリードリヒ・ニイチェ、改造文庫) 1936年
- 『新編 シラー詩抄』(改造文庫) 1937年
- 『ハイネ選集 第1 抒情詩集』解放社 1947年
- 『瞑想詩集』(シラー、小石川書房) 1948年
- 『人間の美的教育について』(シラー、小石川書房) 1948年
- 『人間の美的教育について』(法政大学出版局、叢書・ウニベルシタス) 2003年、新版 2011年、改版 2017年
- 『ゲーテ』(シュワイツェル、新教出版社) 1949年
- 『永遠のゲーテ』(みすず書房) 1953年
- 『死せるマリア』(ハイネ、創元文庫) 1952年
- 『シニョーラ・フランチェスカ 続死せるマリア』(ハイネ、創元文庫) 1952年
参考
- 文藝年鑑
脚注
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads