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小槻孝信

平安時代後期の貴族。左大史、従四位上、大炊頭、主計頭、淡路和泉紀伊守。子に孝範(法光寺検校) ウィキペディアから

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小槻 孝信(おつき の たかのぶ)は、平安時代後期の貴族左大史小槻貞行の子。官位従四位上主計頭

概要 凡例小槻孝信, 時代 ...

経歴

後一条朝末に左少史を務め、後冷泉朝初頭の永承元年(1046年大夫史(五位の左大史)に任ぜられる。左大史には後冷泉・後三条白河の三朝約30年に亘って在任して、この間算博士大炊頭主税頭主計頭などを兼ねる。承保3年(1076年)頃に左大史を子息の祐俊に譲るが、引き続き主計頭兼算博士を帯びたほか紀伊守なども務め、後に位階従四位上に至った。応徳3年(1086年)9月15日卒去享年70。

人物

太政官のみならず、主計寮の先例にも通じ、『諸国申請雑事』という書物を著したと伝えられている[1]。大夫史に期待されていた宣旨発給手続実務および文書保管と先例勘申に加え、手続を遂行する上で弁官と主計寮の連携が必要とされる一国平均役が広く行われるようになると、孝信および小槻氏が持つ文書および先例の蓄積と地方の租税に関する知識の朝廷における存在感が高まるようになり、孝信以降大夫史は小槻氏の嫡流によって世襲されるようになった(官務の成立)。この書が成立した約100年後の治承3年(1179年)に右大臣九条兼実の指示により小槻有頼が書写しており[1]、この書の有用性が窺われる[2]

また、主計頭としての立揚で主計寮文書を抄出して、公務に役だてようとしたともされる[3]

官歴

系譜

系図纂要』による。

脚注

参考文献

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