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小槻師経

平安時代後期の貴族。正五位下・左大史。子に尊珍、有頼(大監物) ウィキペディアから

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小槻 師経(おづき の もろつね、生年不詳 - 保元2年10月5日1157年11月8日))は、平安時代後期の貴族左大史小槻政重の子。官位正五位下・左大史。

経歴

従五位下叙爵後、史巡により保延4年(1137年上総介に任ぜられると、康治元年(1142年摂津守受領を歴任する。

鳥羽院政期天養元年(1144年)3月に父の小槻政重が没したため、後を継いで大夫史となるが、師経が大夫史を務めるにあたって能力に不安があったことから、事前に弟の永業が師経を補佐することになっており[1]、同年2月に永業が右少史に任ぜられている。

その後、15年に亘って大夫史を務め、久安元年(1145年)従五位上、久安5年(1149年正五位下に叙せられる。なお、永業の補佐もあってか、師経は大夫史としての職務を大過なく務めたらしい[2]。またこの間の保元元年(1156年後白河天皇により復活された記録荘園券契所の寄人に永業とともに任ぜられている。

保元2年(1157年)8月に官史の職を離れていた永業が右大史に復任していることから、師経はこの頃より病気などで大夫史の職務を行うことが難しくなっていたか。同年10月2日に物忌中であったところ急病に伏し、闘病3日たたない同月5日に卒去。急死したため、父・政重が没したときのように自分の死後のことについての意思を記した物の存在をうかがわせる史料は残っていない[2]。結局、大夫史の地位は永業が継いだ。

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官歴


系譜

系図纂要』による。

脚注

参考文献

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