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小田清 (声楽家)
日本の声楽家 ウィキペディアから
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小田 清(おだ きよし、1930年12月26日[1] - 2014年9月4日[2])は、日本の声楽家(バリトン)、音楽教育者。
経歴
福島県出身[2]。福島県立安積高等学校卒業[3]。
オペラデビューは横浜勤労者音楽協議会 第76回例会 1960年(昭和35年)3月6,8,9,13,14,15,19日 ヴェルディ『リゴレット』タイトルロール 神奈川県立音楽堂である。最後のオペラ出演は日本オペラ協会1991年(平成3年)3月9,10日 三木稔『あだ』土部三斎 東京芸術劇場中ホール。この間、合計で110本ものプロダクションに一貫して歌手として出演しており[4]、特に二期会の中心的なバリトン歌手として活躍した。中には1967年(昭和42年)の二期会創立15周年記念公演ワーグナー『パルジファル』日本初演のクリングゾル[5]など歴史的な役柄もあった。
1967年(昭和42年)9月27日に横浜で小田清バリトン独唱会を開催するなど、リサイタルの開催にも取り組んでいた。
教育者としても、武蔵野音楽大学教授[2]として数多くの後進の育成に努めた。門下生に三上伸和[6]、佐藤あけみ[7]、郡司博[8]、深山陽子[9]、山内みどり[10]、穂積磨矢子[11]、齋実希子[12]、杉森のりこ[13]、鈴木涼子[14]、三戸大久[14]、吉永純子[15]、畑・デーリング 弥生[16]、金井奈保子、坂内幸則[17]などがいる。イタリア声楽コンコルソ[18]、日本モーツァルト音楽コンクール[19]の審査員も務めている。
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受賞歴
- 1974年度(昭和49年度)第2回ウィンナー・ワルドオペラ賞(後のジロー・オペラ賞)[21]
家族
脚注
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