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小田知周
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小田 知周(おだ ともちか、1851年9月6日(嘉永4年8月11日[1])- 1919年(大正8年)7月15日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。旧姓・十河。

経歴
讃岐国香川郡宮脇村(香川県[2]香川郡宮脇村を経て現高松市)で十河憲武の子として生まれ、9歳で伯父・小田辰右衛門の養嗣子となる[3]。高松藩校弘道館で学ぶ。
高松市会議員、同参事会員、愛媛県会議員、香川県会議員、高松商業会議所会頭、高松市長を歴任する[2]。また、高松商業銀行取締役、高松電気軌道、香川新報各(株)社長となる[2]。
1912年(明治45年)第11回衆議院議員総選挙において高松市選挙区から無所属で立候補して当選した[4]。衆議院議員を1期務め、1915年(大正4年)第12回総選挙には立候補しなかった。1919年に死去した。
脚注
参考文献
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