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小繋事件
日本の事件 ウィキペディアから
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小繋事件(こつなぎじけん)とは、岩手県二戸郡一戸町字小繋の小繋山の入会権に関して、1917年に地元住民を原告として起こされた民事訴訟に端を発した刑事を含む一連の裁判に至った事件のこと。
小繋の小さな集落に住む住民たちは、先祖代々、2000ヘクタールの小繋山に依存した生活を続けていた。小繋山は地域の人々が自由に入り、肥料、飼料といった農業に欠かせない物資や食と住に関わる建築用材、燃料、食料なども調達していた[1]。
地租改正にともなう官民所有区別処分の際にこの小繋山が共有林や村有林ではなく、民有地とされた。この時に発行された地券の名義は地区の代表者「立花喜藤太」とされた。1897年立花は、地区の住民に無断で譲渡し、1907年「鹿志村亀吉」が所有するに至った。この所有権の移転に関わらず、通常の入会の利用は継続されていたが、1915年村に大火があり、住民が用材を持ち出そうとしたところ、鹿志村が、警察力などを使って、小繋山への住民の立ち入りを実力で阻止するようになり、住民も鹿志村派と反対派に分裂した。反対派は入会権の侵害を不服として、鹿志村とそれに与する住民を被告として、入会権行使に関する妨害排除請求訴訟を起した[1]。
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裁判の概要
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支援者と報道・言論
1917年の民事訴訟の提起から、1966年の刑事事件の有罪確定まで約50年をへた事件の間、戒能通孝らの法学者、弁護士、多くの新聞記者やドキュメンタリーカメラマン菊地周、写真家川島浩、ドキュメンタリー作家篠崎五六らが入り、その後も、様々なかたちでとりあげられている。最近では、2009年の山形国際ドキュメンタリー映画祭の招待作品、『こつなぎ 山を巡る百年物語』がつくられている。
脚注
参考文献
関連項目
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