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山内左五兵衛

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山内 左五兵衛(やまうち さごべえ、1859年安政6年12月[1]) - 1925年大正14年)10月18日[1])は、明治から大正時代の政治家貴族院多額納税者議員

出自

初代は山内善右衛門で、享保年間に土佐から津軽に移り、転住の末に津軽郡稲盛村(西津軽郡柏村を経て現つがる市)に土着し、新田開発に取り組んだ家系[2]。大地主[2]

経歴

稲盛村に生まれ、若くして農村指導に当たる[2]1883年(明治16年)西津軽郡会議員を経て[1]1888年(明治21年)青森県会議員に当選[2]。ついで柏村第3代村長に就任し、農事改良と小作人保護に当たり、自宅に集会所や農作物陳列所を設けた[2]1909年(明治42年)土淵堰組合の石造水門改良工事臨時委員となり、その功により組合から表彰状と銀杯を贈られた[2]。ほか、西津軽郡農会顧問を務めた[1]

1923年(大正12年)には青森県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年7月7日[3][4]から1925年(大正14年)9月28日まで在任した[1]交友倶楽部に属した[1]

人物

津軽弁での答弁は有名であり、軍縮論で遊説中の尾崎行雄に対する「日本国の柱である陸海軍の将官を侮辱するとは何事か」という発言は後々まで話題となった[2]

脚注

参考文献

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