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山本寺定長

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将 ウィキペディアから

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山本寺 定長(さんぽんじ さだなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将上杉氏の家臣。山本寺上杉家当主。不動山城主。

概要 凡例山本寺 定長, 時代 ...

略歴

山本寺上杉家は上杉氏庶流で、天正3年(1575年)の軍役帳によれば、上杉一門としては6番目の家格に位置している。父は山本寺定景[注釈 2]、母は長尾能景の娘か。上杉房能に殉じた山本寺定種の孫といわれる。

長尾氏と争っていたが、上杉定実を傀儡の守護として擁する長尾晴景に従う。弘治元年(1555年)には、上杉謙信の家臣として第二次川中島の戦いに従軍し、軍功を挙げた。その後越中戦線に派遣され、元亀3年(1572年)、一向一揆に包囲された越中国日宮城救援のために出陣したが、神通川渡し場の戦いで敗れた。

のちに上杉景虎(北条三郎)が謙信の養子となるとその傅役に任命された。その縁で、天正6年(1578年)の御館の乱では上杉景虎方に付いて敗北。居城を捨てて失踪した。家督は子または弟ともされる景長(孝長)が継いだ。

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脚注

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