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山沢静吾
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山沢 静吾(やまざわ せいご、1846年1月12日(弘化2年12月15日) - 1897年3月30日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将従三位勲二等[1]。男爵。別名・盛致、鉄之進。
経歴
薩摩藩士・山沢十太夫の長男として生まれる。戊辰戦争に参戦し、1869年、第1大隊5番小隊長となり、同年、御親兵として上京。1871年、陸軍大尉任官。1872年、免本官となり牧畜研究のためアメリカに派遣される。1874年5月帰国し、同年10月、陸軍中佐に任官し、陸軍省出仕・陸軍生徒取締としてフランスに派遣される。1877年5月から翌年7月まで露土戦争の観戦武官として派遣され、プレヴェン包囲戦に従軍、ロシアとルーマニアから軍功賞牌が下賜される[2][3]。
歩兵第3連隊長や歩兵第1連隊長、近衛歩兵第1連隊長などを歴任し、1885年5月、陸軍少将に昇進。歩兵第3旅団長や歩兵第10旅団長、留守歩兵第9旅団長を経て、1895年1月、陸軍中将に昇進。留守第5師団長を経て、日清戦争に第4師団長として出征した。
1895年12月、西南戦争・日清戦争の軍功を賞されて男爵を授けられる。
明治30年3月30日薨去。墓所は2017年までは青山霊園1-イ-10-1にあったが、現在は墓じまいとなり同霊園の2-イ-10付近にある立体埋蔵施設第2区に合葬されている。
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栄典
- 位階
- 勲章等
親族
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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