トップQs
タイムライン
チャット
視点

山田忠兵衛

ウィキペディアから

Remove ads

山田 忠兵衛(やまだ ちゅうべえ、1841年10月7日天保12年8月23日[1] - 1907年明治40年)11月12日[2])は、明治時代の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

東京都出身[3]東京府会議員、同常置委員、芝区長心得、東京市会議員、同参事会員、東京市収入役、東京商工銀行頭取、三田銀行取締役、芝浦鉱泉(株)取締役となる[3]

1890年第1回衆議院議員総選挙において東京府第2区から立候補したが落選した[4]1894年第3回衆議院議員総選挙では6票差で落選[5]。同年の第4回衆議院議員総選挙で当選した[6]1898年第5回衆議院議員総選挙に出馬しなかった。

1907年(明治40年)11月12日、神奈川県鎌倉市円覚寺富陽庵の古井戸に投身自殺。遺体は同年12月22日に発見された[2]

脚注

参考文献

関連項目

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads