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山田忠兵衛
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山田 忠兵衛(やまだ ちゅうべえ、1841年10月7日(天保12年8月23日)[1] - 1907年(明治40年)11月12日[2])は、明治時代の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
東京都出身[3]。東京府会議員、同常置委員、芝区長心得、東京市会議員、同参事会員、東京市収入役、東京商工銀行頭取、三田銀行取締役、芝浦鉱泉(株)取締役となる[3]。
1890年の第1回衆議院議員総選挙において東京府第2区から立候補したが落選した[4]。1894年の第3回衆議院議員総選挙では6票差で落選[5]。同年の第4回衆議院議員総選挙で当選した[6]。1898年の第5回衆議院議員総選挙に出馬しなかった。
1907年(明治40年)11月12日、神奈川県鎌倉市の円覚寺富陽庵の古井戸に投身自殺。遺体は同年12月22日に発見された[2]。
脚注
参考文献
関連項目
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