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山田恵一 (貴族院議員)
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山田 恵一(惠一、やまだ けいいち、1873年(明治6年)11月16日[1] - 1930年(昭和5年)12月13日[2][3][4][注 1])は、大正から昭和初期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。
経歴
名東県山田郡、後の香川県山田郡前田村[5](木田郡前田村を経て現高松市前田)で山田光次郎の長男として生まれる[1][6]。1904年(明治37年)1月に家督を相続した[1]。奈良県立郡山尋常中学校(現奈良県立郡山高等学校)を経て[1]、第三高等学校を卒業[注 2]した[1][2][3]。
その後帰郷し、1917年(大正6年)、香川県下の養蚕業振興のため木田郡に製糸工場を開設し[2][3][5]、木田郡農会長、大日本山林会特別議員、香川県製糸組合長、同県農会副会長、同県蚕糸業同業組合連合会組長などを務めた[1][2][3][4][6]。その他、讃岐電灯取締役、讃岐農工銀行取締役、高松電気軌道取締役、朝鮮勧業取締役などを歴任した[1][2][3][4][6]。
政界では、木田郡前田村会議員を務め[4]、1925年(大正14年)9月29日、貴族院多額納税者議員に就任し[2][7]、交友倶楽部に所属して活動したが、在任中の1930年12月に死去した[4][8]。
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脚注
参考文献
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