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山縣友子

元内閣総理大臣・山縣有朋夫人 ウィキペディアから

山縣友子
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山縣 友子(やまがた ともこ、1851年6月13日嘉永4年5月14日〉- 1893年明治26年〉9月12日[1])は、日本3代9代内閣総理大臣である山縣有朋の妻(内閣総理大臣夫人)。長州藩(現在の山口県下関市)出身。

概要 やまがた ともこ 山縣 友子, 生誕 ...

経歴

1851年(嘉永4年)、現在の山口県下関市湯玉にあった庄屋の娘として生まれる。

1868年慶応4年)に後の夫である山縣有朋が奇兵隊総督に就任したことにより、友子の父親に2人の結婚が認められ、友子は16歳で結婚する。このとき有朋は29歳であった。有朋との間に7人の子をもうけたが、次女松子を除いて夭折[2]

1889年(明治22年)12月24日から1891年(明治24年)5月6日までの間は夫・有朋が内閣総理大臣(第1次山縣内閣)に就任したため、友子も総理大臣夫人となった。しかし、1893年(明治26年)9月12日に肺炎で死去。享年42。友子の没後、有朋は芸者の貞子という女性を妻にしたものの、入籍することはなかった[3]

脚注

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