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山脇正男
大日本帝国陸軍軍人 ウィキペディアから
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山脇 正男(やまわき まさお、1894年(明治27年)3月23日[1] - 1961年(昭和36年)10月5日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
1894年(明治27年)に高知県で生まれた[1]。陸軍士官学校第28期、陸軍大学校第37期卒業[1]。1936年(昭和11年)に陸軍習志野学校教官に就任し[2]、1938年(昭和13年)に陸軍砲兵大佐に進級[2]。1939年(昭和14年)に野戦重砲兵第5連隊長を経て[2]、1940年(昭和15年)に第22師団参謀長に就任し[2]、日中戦争に出動[1]。杭州に駐屯し、討伐戦の指揮を執った[1]。
1942年(昭和17年)に陸軍少将に進級し、1943年(昭和18年)に関東軍化学部長に就任[2]。1944年(昭和19年)に三方原教導飛行団長に転じ[1]、1945年(昭和20年)4月15日に陸軍歩兵学校附となり[3]、4月30日に陸軍中将に進級[2]。5月23日には第160師団長に親補され[1]、朝鮮・群山に布陣し、終戦を迎えた[1]。
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脚注
参考文献
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