トップQs
タイムライン
チャット
視点

山風 (海風型駆逐艦)

海風型駆逐艦 ウィキペディアから

山風 (海風型駆逐艦)
Remove ads

山風(やまかぜ)は、大日本帝国海軍駆逐艦[4]海風型駆逐艦の2番艦である[5]。同名艦に白露型駆逐艦(海風型駆逐艦 / 改白露型駆逐艦)の「山風」があるため[6][7]、こちらは「山風 (初代)」や「山風I」などと表記される[8]

さらに見る 艦歴, 性能諸元(計画竣工時) ...
Remove ads

艦歴

要約
視点
Thumb
進水前の「山風」

海風型駆逐艦(海風、山風)は、日本海軍の駆逐艦として蒸気タービンを最初に採用した画期的艦艇であった[9]。 基本計画番号はF9で、本艦の仮称艦名は「甲号大駆逐艦」[9][8]1909年明治42年)8月28日、三菱合資会社と製造契約を締結[10]、同年11月15日、甲号大駆逐艦は「山風」と命名される[4][11]。 1910年(明治43年)6月1日、三菱長崎造船所で起工[12][13][14]。船番209[15]。1911年(明治44年)1月21日、進水[12][16]。進水前の写真では菊の御紋章がついているのが確認できる[17]。完成時には取り外されてはいるが、これは駆逐艦に菊の御紋章がつけられた唯一の事例である[18]

全力公試中に計画出力を越えた3万軸馬力と35.0ノットを発揮したという[9]。 1911年10月21日、竣工[19][20][注釈 1]、同日附で駆逐艦に類別される[21]

1912年大正元年)8月28日、駆逐艦に等級が附与され、本艦の等級は一等とされる[22]

1915年大正4年)3月5日、第16駆逐隊(山風、海風)[23]沼津市に到着[24]沼津御用邸沖合に停泊する(第16駆逐隊司令桑島省三、山風艦長角田貫三、海風艦長小泉親治[25][26]。 3月6日[27]裕仁親王(後の昭和天皇、当時14歳)は「山風」を御召駆逐艦(供奉艦「海風」)として三保の松原に向かう(同日、御用邸帰還)[28][29]。 3月7日、裕仁親王は「山風」に乗艦して駿河湾を遊覧、訓練では自ら魚雷発射を試みた[30][31]。 3月8日、任務を終えた16駆(山風、海風)は横須賀に向かった[32][33]

第一次世界大戦では第一南遣支隊所属で南洋群島方面攻略に参加[1][20]1918年大正7年)のシベリア出兵では沿海州沿岸警備に従事[1]1920年(大正9年)3月24日午前9時30分、九州地方行啓のため大正天皇皇太子(後の昭和天皇、当時19歳)は神戸港より戦艦「香取」に乗艦する[34][35]。海風型2隻(海風、山風)は他の供奉艦(第二戦隊〈安藝薩摩〉、駆逐艦〈〉)と共に同行する[36][37]。翌日夕刻、艦隊は鹿児島に到着[38][39]。翌日、皇太子は鹿児島に上陸した[40][41]。以後も山風以下艦隊は皇太子(御召艦香取)の九州行啓を護衛した。

1926年(大正15年)11月29日 - 艦艇類別等級表に「艦型」が定められ、本艦の艦型は海風型とされる[42]。同年12月1日から[43]1928年12月10日まで鎮海要港部に所属し[44]、この間主に朝鮮半島で活動する[45]

1930年昭和5年)6月1日、山風は駆逐艦籍から除かれ[45]掃海艇に類別変更[46]。「第八号掃海艇」(二代)と改称した[1][47]1936年(昭和11年)4月1日、除籍。

Remove ads

艦長

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

駆逐艦長
  • 渡辺仁太郎 中佐:不詳 - 1912年6月29日
*兼佐世保海軍工廠艤装員( - 1911年12月22日)
  • 山下義章 中佐:1912年6月29日 - 1913年4月1日
  • 岡村秀二郎 中佐:1913年4月1日 - 12月1日
  • (心得)角田貫三 少佐:1913年12月1日 - 不詳
  • 角田貫三 中佐:不詳 - 1915年5月1日[48]
  • (心得)前川義一 少佐:1915年5月1日[48] -
  • 前川義一 中佐:1915年12月13日 - 1916年4月1日
  • (心得)中山友次郎 少佐:1916年4月1日 - 8月1日
  • 中山友次郎少佐:1916年8月1日 - 1916年12月1日
  • 杉浦正雄 少佐:1916年12月1日 - 1917年6月1日
  • 馬島専之助 少佐:1917年6月1日 - 12月1日[49]
  • 若山昇 少佐:1917年12月1日[49] - 1918年9月10日[50]
  • 後藤章 少佐:1918年9月10日 - 12月1日
  • 長井実 少佐:1918年12月1日 - 1919年4月1日
  • (心得)長井実 少佐:1919年4月1日 - 12月1日
  • (心得)蒲田静三 少佐:1919年12月1日[51] - 1920年12月1日[52]
  • (心得)赤沢堅三郎 少佐:1920年12月1日[52] - 1921年12月1日[53]
  • (心得)森田重房 少佐:1921年12月1日[53] - 1922年12月1日[54]
  • (心得)石井先知 少佐:1922年12月1日[54] - 1923年4月1日[55]
  • (心得)吉田健介 少佐:1923年4月1日[55] - 11月20日[56]
  • (心得)荒糺 少佐:1923年11月20日 - 1924年6月10日
  • (心得)中円尾義三 少佐:1924年6月10日 - 1924年12月1日
  • 加来博胤 少佐:1924年12月1日[57] - 1926年7月20日[58]
  • (兼)岩原盛恵 少佐:1926年7月20日[58] - 11月1日[59]
  • 金子豊吉 少佐:1926年11月1日 - 1927年12月1日
  • 樋口通達 少佐:1927年12月1日[60] - 1929年7月20日[61]
  • 西岡茂泰 少佐:1929年7月20日 - 1930年6月1日
掃海艇長
  • 西岡茂泰 少佐:1930年6月1日 - 1930年8月1日
  • 谷口信義 少佐:1930年8月1日[62] - 1931年4月1日[63]
  • 有田貢 少佐:1931年4月1日[63] - 1932年4月1日[64]
Remove ads

脚注

参考文献

関連項目

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads