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岩城秀隆

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岩城 秀隆(いわき ひでたか)は、江戸時代前期から中期にかけての大名出羽国亀田藩の第4代藩主。

概要 凡例岩城 秀隆, 時代 ...

略歴

延宝元年(1673年)、3代藩主・岩城重隆の長男・景隆の長男として生まれる。景隆は本来、家督を継ぐ身であったが、重隆と対立して廃嫡された上に幽閉され、元禄9年(1696年)に死去した。

天和3年(1683年)5月6日、江戸幕府5代将軍徳川綱吉御目見する[3]宝永元年(1704年)2月10日、祖父・重隆の隠居により家督を継いで4代藩主となる[1]。宝永6年(1709年)4月15日、従五位下・伊予守に叙任された[1]正徳5年(1715年)8月28日、駿府加番に任じられる[1]

享保3年(1718年)10月25日、亀田で死去した。享年46。2人の男子は早世していたため、末期養子として隆韶を迎えた。

当初、秀隆は岩城家17代当主・常隆の子孫(岩谷堂伊達家)の伊達村隆を養子に望んだ。しかし村隆の本家の、仙台藩伊達家との交渉はまとまらず、秋田藩佐竹家と養子縁組の交渉に及んだ。これもまとまらず、再度伊達家との交渉に臨んだ。その結果、仙台藩主・伊達吉村の弟・村興の子の隆韶を仮養子に指定することに成功し、死去に伴い末期養子に認められた。

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系譜

父母

正室、継室

子女

  • 岩城千次郎[3]
  • 岩城栄次郎[3]

養子

脚注

出典

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