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岩城隆韶
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岩城 隆韶(いわき たかつぐ)は、江戸時代中期の大名。出羽国亀田藩5代藩主。
生涯
宝永5年(1708年)、陸奥国仙台藩一門第七席宮床伊達家3代当主・伊達村興(仙台藩5代藩主・伊達吉村の弟)の次男として生まれる。
享保3年(1718年)12月7日、出羽亀田藩4代藩主・岩城秀隆の末期養子として家督を継ぎ、12月15日には江戸幕府8代将軍・徳川吉宗に御目見する[1][2]。享保6年(1721年)12月18日、従五位下・但馬守に叙位・任官する[1][2]。享保9年(1724年)2月16日、河内守に遷任した[1][2]。享保13年(1728年)、公家衆御馳走役を務める[1]。享保15年(1730年)、駿府加番に任じられる[1]。元文3年(1738年)7月15日、隆韶に改名する[1]。
隆韶は朱子学を室鳩巣に学び、山宮維深(雪楼)を侍講として招いた。また文化人として国学や和歌、書道に優れ、亀田藩学の基礎を作り上げた。
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系譜
父母
正室
- 負正院寿法栄心 - 津軽信寿の娘
子女
- 男子
養子
脚注
出典
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