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島津久徴 (加治木家)

江戸時代後期の薩摩藩家臣 (1752-1809) ウィキペディアから

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島津 久徴(しまづ ひさなる)は、薩摩藩(鹿児島藩)家臣、加治木島津家第6代当主。

概要 凡例島津久徴, 時代 ...

略歴

宝暦2年(1752年)、島津重年仮養子で知覧領主である島津久峰の長男として生まれる。宝暦4年(1754年)、先代加治木島津家当主で、従兄弟の島津久方(重豪)が藩主重年の世子となり、当主不在となったため、明和9年(1772年)に重豪の義弟として加治木島津家を相続した。天明4年(1784年)、長崎より儒学者の伊藤世粛を招き、領内に郷校毓英館を設立する。また、寛政11年(1799年)には江戸より儒学者の秋岡冬日を招いた。寛政12年(1800年)、隠居して家督を嫡男の久照に譲る。文化5年(1808年)、領内の仕置が不届きであるとの理由で、久照共々処分を受ける。処分の真の理由は、藩校造士館に対抗して、毓英館を設立するなどの動きを、藩内の改革派に対抗するものと見られたため。文化6年(1809年)9月11日死去。享年58。

なお「近秘野艸」(『鹿児島県史料』「伊地知季安著作史料集六」所収)では島津忠厚は久徴の子とされている。

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参考文献

  • 「加治木郷土史料」
  • 上原兼善著「鎖国と藩貿易 薩摩藩の琉球密貿易」
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