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川上久林

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川上 久林(かわかみ ひさしげ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将島津氏の家臣。

概要 凡例川上久林, 時代 ...

生涯

天正4年(1576年)、川上忠堅の子として誕生。

文禄元年(1592年)、島津忠恒の供をして文禄の役に従軍し朝鮮に渡海している。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際には、島津義弘の陣に馳せ参じ、その退却戦で東軍の井伊直政軍が攻め掛かってくると、叔父・忠兄久智、及び押川公近久保之盛と共に下馬して踏み止まり奮戦、後に「小返しの五本鑓」の一人に数えられる。

久林は薩摩国高城[1]地頭を務め、慶長19年(1614年)の大坂の陣にも人数賦御使番衆33人のうちの一人として出陣している。

寛永2年(1625年)、死去。

脚注

出典

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