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川上久林
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川上 久林(かわかみ ひさしげ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。島津氏の家臣。
生涯
文禄元年(1592年)、島津忠恒の供をして文禄の役に従軍し朝鮮に渡海している。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際には、島津義弘の陣に馳せ参じ、その退却戦で東軍の井伊直政軍が攻め掛かってくると、叔父・忠兄、久智、及び押川公近、久保之盛と共に下馬して踏み止まり奮戦、後に「小返しの五本鑓」の一人に数えられる。
久林は薩摩国高城[1]の地頭を務め、慶長19年(1614年)の大坂の陣にも人数賦御使番衆33人のうちの一人として出陣している。
脚注
出典
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