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川上保雄

日本の医学者 ウィキペディアから

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川上 保雄(かわかみやすお、1914年1月4日 - 2015年7月28日[1])は、日本の医学者昭和大学(現・昭和医科大学)学長を務めた。

来歴

長野県南佐久郡川上村生まれ。旧制野沢中学(長野県野沢北高等学校)、旧制松本高等学校理科を経て、昭和14年(1939年)東京帝国大学医学部医学科卒業[1]。 同年海軍中尉、同16年(1941年)大尉、同19年(1944年)少佐。同21年(1946年)復員除隊。

同22年(1947年)東京大学医学部助手、同30年(1955年)講師、同34年(1959年)昭和医科大学教授[1][2]、同47年(1972年)医学部長、同53年(1978年)理事長、同58年(1983年)学長を歴任した。同61年(1986年)退任、名誉教授[1]。のち川上記念アレルギーセンター所長。

平成27年(2015年)、東京都品川区の病院で101歳で死去した。死因は慢性腎不全[3]

著書

  • 「ゼンソクはなおる」主婦の友社 1962年
  • 「喘息 気管支喘息とアレルギー」創元社 1963年
  • 「アレルギー性疾患」(森崎直木大高裕一 共編)中山書店 1969年
  • 「リウマチ」 医学書院 1973年
  • 「川上保雄教授の新編ゼンソクとアレルギー」主婦の友社 1980年

脚注

参考文献

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