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川島惟忠
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川島 惟忠(かわしま これただ、生年不明 - 天正7年12月27日(1579年1月23日))は、戦国時代の武将。阿波国川島城主。三好家の一族、家臣。兵衛進。
生涯
1572年(元亀3年)に上桜城に居城していた篠原長房の討伐で功績を挙げ、阿波川島一帯二百貫を知行。川島城を築く。1579年(天正7年)に脇城外の戦いで討死、子孫は備中まで逃れていったという[1]。
惟忠死後、蜂須賀家政が阿波に入国し、川島城は家政の家臣・林能勝が城主となった。また川島城には惟忠が開基した真福寺がある[2]。
脚注
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