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川淵洽馬
日本の警察官僚、政治家 ウィキペディアから
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川淵 洽馬(かわぶち こうま、1883年〈明治16年〉8月15日[1] - 1946年 〈昭和21年〉10月1日[2])は、日本の内務官僚、政治家。官選県知事、高知市長、衆議院議員。財団法人板垣伯銅像記念碑建設同志会第7代会長。旧姓は宮崎。姓は川渕とも表記される。
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来歴
高知県高岡郡窪川町(現・四万十町)生まれ[3]。宮崎文次の二男として生まれ、川淵龍起の養子となる。第一高等学校を経て、1910年(明治43年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1912年(明治45年)、内務省に入り警視庁警部に任官。
以後、警視庁警視、月島警察署長、台湾総督府警視、山形県警察部長、広島県警察部長、京都府警察部長、警視庁書記官・警務部長[4]、警察講習所教授兼内務省参事官などを歴任。
1925年(大正14年)9月16日、福島県知事に就任[5]。1927年(昭和2年)5月17日に休職となる[5][6]。同年7月19日に願い出により免官となった[5]。1929年(昭和4年)7月5日、広島県知事になった[7]。1931年(昭和6年)5月8日に、福岡県知事に転任した[8]。同年12月18日に依願免本官となり退官した[9]。1932年(昭和7年)2月、第18回衆議院議員総選挙で高知県第2区に立憲民政党から出馬し当選し、衆議院議員を1期務めた。1936年(昭和11年)1月28日、高知市長となり、1941年(昭和16年)7月11日まで在任した[1]。
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栄典
脚注
参考文献
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