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幌糠駅
かつて北海道留萌市にあった北海道旅客鉄道の駅 ウィキペディアから
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幌糠駅(ほろぬかえき)は、北海道(留萌振興局)留萌市幌糠町にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)留萌本線の駅(廃駅)である。電報略号はホヌ。事務管理コードは▲121506[2]であった。
廃止時点では上りと下り始発の普通列車は通過していた。
歴史

戦前までは付近の御料林伐採材の主要な搬出駅であり、冬期間に伐採した木材を隣接土場に貯木し、それを夏期に駅より列車で搬出していた。
年表
- 1910年(明治43年)11月23日:鉄道院留萠線深川駅 - 留萠駅間開通に伴い開業[3][4]。一般駅[1]。
- 1931年(昭和6年)10月10日:線路名を留萠本線に改称、それに伴い同線の駅となる[4]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1977年(昭和52年)5月25日:貨物取扱い廃止[1]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物取扱い廃止[1]。同時に出札・改札業務を停止して無人化[5][6]。但し閉塞扱いの運転要員は継続配置[5]。
- 1986年(昭和61年)11月1日:閉塞合理化に伴い交換設備廃止。運転無人化[7]。
- 1980年代後半 - 駅舎改築、貨車駅舎となる。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[1]。
- 1997年(平成9年)4月1日:線路名を留萌本線に改称、それに伴い同線の駅となる[4]。
- 2023年(令和5年)4月1日:石狩沼田駅 - 留萌駅間の廃止に伴い廃駅[8][JR北 1]。
駅名の由来
所在地名より。駅付近を流れる留萌川北支流中幌糠川を指すアイヌ語の「ポロヌㇷ゚カペッ(poro-nupka-pet)」(大きい〔親なる〕・野の・川)に由来する[9][10]。
この名称は、中幌糠川より下流にある林川の原名「ポンヌㇷ゚カペッ(pon-nupka-pet)」(小さい・野の・川)と対になっている[9][10]。
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駅構造
廃止時点では単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(留萌方面に向かって右手側、旧1番線)に存在する[11]。転轍機を持たない棒線駅となっている[11]。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[12]。(臨時列車との交換の為、上り急行「はぼろ」が乗降扱いの臨時停車をしたこともある)互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム北側を結んだ構内踏切で連絡した[12]。駅舎側(東側)が上りの1番線、対向側ホームが下りの2番線となっていた[12]。そのほか1番線の深川方から分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[12]。交換設備運用廃止後は1993年(平成5年)3月までに線路は撤去されたが、ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲している[11]。
廃止時点では無人駅となっていた。駅舎は構内の東側に位置しホーム中央部分に接している[11]。有人駅時代からの木造板張り[12]の駅舎は改築され、ヨ3500形車掌車[13]を改造した貨車駅舎となっている[11]。宗谷本線の貨車駅舎と全く同一の外観となっている[13][14]。トイレは無い[14]。
- ホーム(2017年8月)
- 駅名標(2017年8月)
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利用状況
乗車人員の推移は以下のとおりであった。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
駅周辺
当地は留萌市内陸部の中心地[11]で、同市の農業の中心地でもある[12]。駅前を通る道路は付け替え前の旧国道である[12]。
その他
隣の駅
脚注
関連項目
外部リンク
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