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平佐良蔵

日本の陸軍軍人、華族 ウィキペディアから

平佐良蔵
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平佐 良蔵(ひらさ りょうぞう、1851年7月28日嘉永4年7月1日[1] - 1912年明治45年〉7月5日)は、日本の陸軍軍人華族。最終階級は陸軍中将男爵

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平佐良蔵

経歴

長門国(現在の山口県)にて、平佐蕉雨の長男として生まれる。明治4年9月21日1871年11月3日)、陸軍少尉に任官。1892年(明治25年)12月、歩兵第10連隊長となり、1895年(明治28年)2月、歩兵大佐に昇進。1897年(明治30年)10月、近衛歩兵第1連隊長に就任した。

1900年(明治33年)4月、陸軍少将に進級し歩兵第10旅団長に就任。1901年(明治34年)7月、台湾守備混成第2旅団長に異動。1903年(明治36年)7月、歩兵第18旅団長に発令され日露戦争に出征。旅順攻囲戦奉天会戦などを戦った。

1906年(明治39年)7月、陸軍中将に進み第15師団長に親補された。1907年(明治40年)1月28日に退役[2]、同年9月21日、その功績により男爵の爵位を授爵し華族となった。

1912年明治45年)7月5日、60歳で死去した。家督は父の蕉雨が継ぎ、男爵も襲爵した。

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栄典

位階
勲章等

家族

  • 父:平佐蕉雨(1829 - 1922) - 大森儀右衛門の次男。良蔵の死後、家督を継ぐも1914年に孫の嘉彦に譲る。
  • 妻:長崎シマ(1847 - ?) - 長崎天流の長女。

脚注

参考文献

関連項目

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