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平山征夫

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平山征夫
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平山 征夫(ひらやま いくお、1944年昭和19年〉7月21日 - )は、日本政治家大学教員新潟県知事(公選第14・15・16代、在任1992年 - 2004年)。新潟県知事時代に大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレを発案し、開催に漕ぎ着けた。長岡技術科学大学特任教授事業創造大学院大学非常勤教員。新潟国際情報大学前学長(在任2008年 - 2018年)。

概要 生年月日, 出生地 ...
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略歴

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平山県政

東京佐川急便事件に関わったとして金子清が辞職したことに伴い行われた1992年新潟県知事選挙にて、自民党社会党からの推薦を受け出馬し、長﨑明を破り当選した[2]。ロシアとの交流に積極的であり、1994年8月には新潟市にロシア総領事館を開設することなった[3]巻原発に関しては推進の方向性を取り、合意形成を進めるよう資源エネルギー庁に要望を行っていた[4]ナホトカ号重油流出事故では県N号(ナホトカ)流出油災害対策本部を立ち上げた[5]

知事襲撃事件

1998年12月17日、新潟市内のホテルで開かれる会合に向かうために県庁の正面玄関に向かったところ、右翼団体の男によって刃物で襲撃された[6]。男は背広姿で「万景峰号はどうするんだ」と叫び「知事ならば何でもできるはずだ」と迫り首に抱きつき千枚通し様のもので切り付けた[6]。怪我の程度は軽傷で済み、知事は「抗議は自由だが、暴力で訴えることは許せない」と会見にて語った[7]。男は翌年1月7日に新潟地検に傷害罪で起訴された[8]

動機はテポドン発射に際して万景峰号が国民の脅威になると男が感じ、万景峰号の入港拒否、警備体制強化の男の申し入れを断られたことによるものであり[9]1999年3月30日に男は懲役一年六カ月の実刑判決が下った[10]

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主な著書

  • 『私はこんな知事になりたかった』(2009年朝日新聞出版)
  • 『終列車出発す! : しゃべっちょ古稀からの独り言 : 平山征夫回顧録』創藝社、2021年11月。ISBN 9784881442609全国書誌番号:23614881

脚注

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