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平等寺 (京都市下京区)

京都市下京区にある寺院 ウィキペディアから

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平等寺(びょうどうじ)は、京都市下京区因幡堂町にある真言宗智山派寺院山号は福聚山。本尊薬師如来因幡堂因幡薬師の名で親しまれている。観音堂(本尊・十一面観音)は洛陽三十三所観音霊場第27番札所。

概要 平等寺, 所在地 ...
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歴史

『因幡堂縁起』(『山城名勝志』所収)、『因幡堂縁起絵巻』(東京国立博物館蔵)などに創建の由来が書かれている。縁起は諸本によって内容に若干の違いがあるが、おおむね次のような話である。大納言橘好古(たちばなのよしふる)の孫である少将橘行平(たちばなのゆきひら)は、長徳3年(997年)、因幡国司としての任を終えてに帰ろうとしていたところ、重い病にかかった。ある夜、行平の夢に貴い僧が現れ、「因幡国の賀露津(かろのつ)の浦(現在の鳥取港)に貴い浮き木がある。それは仏の国(インド)から衆生を救うために流れついたものである。それを引き上げてみよ」と言う。行平が賀露津の漁師に命じて、波間に光るものを引き上げてみると、それは等身の薬師如来の像であった。この薬師像を祀ったところ、行平の病は癒え、京に帰ることができた。この薬師像は天竺(インド)の祇園精舎の四十九院の1つ、東北療病院の本尊であった。行平は薬師像をいずれ京に迎えると約束して因幡を後にしたが、その後、因幡を訪れる機会がないうちに長い歳月が過ぎた。長保5年4月7日1003年5月10日)、行平の屋敷の戸を叩く者がある。戸を開けてみると、それは因幡からはるばる虚空を飛んでやってきた薬師像であった。行平は高辻烏丸の屋敷に薬師像を祀った。これが因幡薬師平等寺の起源であるという。なお、薬師如来像が引き上げられた年を天徳3年(959年)とし、行平は勅命で因幡国一宮宇倍神社に参拝し、京に帰ろうとした際に病気になったとする縁起もある。一説に薬師仏は因幡国にあった在地豪族・因幡氏の氏寺の薬師寺(座光寺)に安置されていたといい、行平が京都へ持ち去ったとされる。

南都における寺院勢力の強勢振りを嫌い、平安京内には、官寺である東寺西寺以外に寺院を建立することは禁止されていた。ただし、貴族の持仏堂は建立が認められていた。本寺もこれに相当する。また六角堂(頂法寺)や革堂(行願寺)のような、町堂(辻堂)の建立も認められていた。因幡堂も、これらと並んで町衆の信仰を集めた町堂の代表格である。

平等寺の寺号は、承安元年(1171年)に高倉天皇によって下賜されたものである。

年間約1,000件の祈祷の多くをがんの平癒を祈るものが占めるなど、近年はがん封じの寺として患者などから熱心な信仰を集めている[1]

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境内

文化財

重要文化財

狂言

因幡堂」、「鬼瓦」、「仏師」、「六地蔵」、「金津」など複数の狂言で舞台として登場する。

前後の札所

洛陽三十三所観音霊場
26 正運寺 - 27 平等寺 - 28 壬生寺塔頭中院
京都十三仏霊場
6 泉涌寺 - 7 平等寺 - 8 大報恩寺
京都十二薬師霊場
1 平等寺 - 2 東寺

所在地

  • 京都市下京区松原通烏丸東入る上る因幡堂町728[3]

交通アクセス

脚注

参考文献

外部リンク

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