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平経正

平安時代末期の武将、歌人。平経盛の長男嫡子。正四位下、但馬守、皇太后宮亮、左馬権頭。勅撰集『千載和歌集』以下に9首入集 ウィキペディアから

平経正
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平 経正(たいら の つねまさ)は、平安時代末期の平家一門の武将歌人平経盛の長男で、平敦盛の兄。平清盛の甥にあたる。

概要 凡例平経正, 時代 ...

略歴

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平経正の塚とされる琵琶塚(兵庫県神戸市兵庫区

平家一門の中でも俊才として知られ、歌人として活躍した。家集に「経正朝臣集」がある。また平安貴族が愛用した楽器の琵琶の名手として名を上げた。藤原俊成仁和寺五世門跡覚性法親王といった文化人と親交が深く、とりわけ覚性からは、経正が幼少時を仁和寺で稚児として過ごしたこともあり、楽才を認められ琵琶の銘器『青山』を下賜されるなど寵愛を受けた。

寿永2年(1183年)の平家都落ちの際に仁和寺に駆けつけ、拝領の『青山』を返上し和歌を残した逸話は、『平家物語』中「経正都落」、『源平盛衰記』中「経正仁和寺宮ヘ参リシ事」条などで著名である。[2]

寿永3年(1184年)、一ノ谷の戦いにおいて、河越重房の手勢に討ち取られて戦死した。公式に確認されている子女はないが、後世では生嶋氏が平経正の子孫を称している。またの演目である『経政』は、経正を題材とした修羅物である。

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末裔

桂宮諸大夫であった生島氏は経正の末裔とされる[3]

脚注

関連項目

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