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広瀬経一

日本の大蔵官僚、銀行家 ウィキペディアから

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広瀬 経一(ひろせ けいいち、旧字:廣瀨經一。1896年3月7日 - 1986年2月18日)は、日本の大蔵官僚銀行家北海道拓殖銀行頭取を務めた。香川県出身[1]

経歴・人物

高松中學校[2]第三高等学校を経て、1920年京都帝国大学政治科を卒業し、同年に大蔵省に入省[1]。札幌税務署長時代の1939年に、ニッカウヰスキーの品質証明を担当した[3]1942年神戸税関長を最後に退官。

1945年北海道拓殖銀行副頭取に就任し、1947年には頭取に昇格[1]1962年3月に会長に就任し、1973年11月には相談役に就任[1]。頭取就任後に債権整備法に基づき不良債権を切り捨てるための9割減資を強行し、さらにその半年後には100倍強の増資をするという「荒療治」を行い、戦後の拓銀の飛躍を築いた[3]

1952年に第11代札幌商工会議所会頭に就任し、21年にわたってその任に就いた。

1986年2月18日消化管出血のために死去[4]89歳没

子は倫理学者広瀬京一郎

栄典

出典・脚注

参考文献

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