トップQs
タイムライン
チャット
視点

序破急 (企業)

ウィキペディアから

序破急 (企業)
Remove ads

株式会社序破急(じょはきゅう)は、広島県広島市中区で営業している映画興行会社。

概要 種類, 本社所在地 ...
Remove ads

概要

2016年11月時点で映画館サロンシネマ八丁座を運営。映画興行専業で事業を行っている[1][補足 1]。サロンシネマ・シネツインのみの時代は、アート系(ミニシアター系)を中心とした映画を流していたが[4]、八丁座開館以降は八丁座でロードショー作品も扱うようになっている[5][6]

序破急系の劇場では、小冊子『End Mark』を発行・配布している。

サロンシネマ&八丁座としてA5両面カラー二つ折りの上映時刻表「tomorrow is another day」を月単位で発行している。

歴史

要約
視点

1954年(昭和29年)、現社長の父蔵本登が旧・サロンシネマの有る地で映画興行を開始[7]。当時は、日活・大映・東映の封切館、洋画のスバル座、名画座の5映画館が営業していた[7]。1965年(昭和40年)12月には『タカノ橋公楽センタービル』が建てられた[8]。複数の映画館と飲食店が入居する現在のシネコンのような建物だった[4]

映画残業の斜陽化で1972年(昭和47年)1月に『鷹野橋大映』閉館。当時、『タカノ橋公楽センタービル』の代表取締役をしていた蔵本登が一念発起[9][補足 2]

Thumb
旧・サロンシネマ1の座席

場内は絨毯敷き[9]、鷹野橋大映時代の250席を100席に減らし[9]、当時45cmの座席幅が標準的だったのを60cmに拡大[10]。スタジアム形式の座席を採用[9]。各席にテーブル・押しボタンを追加[9]。押しボタンは痴漢対策および[10][9]、飲み物の注文に利用できた[9]。脱ポルノ映画・名作映画路線を取った[10]。それらの試みは改装当時画期的な物で同業他社も注目[9]、スタジアム形式の座席は後年シネコンに採用された[9]。その後、1974年(昭和49年)に姉妹館『シネマパーラー』をオープンさせた[9][11]

その後、経営は低迷し、昭和30年代に5館所有していた映画館も、切り売りなどして『タカノ橋公楽センタービル』を残すのみになり[12]、1980年(昭和55年)には閉館かポルノ映画転換を考えるまでになっていた[13]。その頃、東京でサラリーマンをしていた、現・総支配人の住岡正明が閉館の噂を確認すると、東京に帰り東京の映画館を視察してリポートを提出[14]。半ば強引な形で入社した[15]

住岡正明は、東京で行われていたフィルムマラソンを広島でも行うことを提案[4]。当時の社長から反対されつつ、自腹でフイルム代を出す条件で開催[4]。21時30分から4本から5本の映画を9時間余りかけて上映する[16]、1981年(昭和56年)3月から始まったフイルムマラソンは[17]、多くの客が詰めかけ[4]、1990年(平成2年)8月に100回[17]、1996年(平成8年)に300回[16]、2014年(平成26年)8月30日時点で579回を数える[18]名物企画になった[4]

また、同時期に東京に嫁いでいた娘の、現社長蔵本順子に家業を継ぐことを打診[13]。蔵本順子は、『ポルノに転換したら名画座に戻れなくなる』とポルノ転換に反対し父・蔵本登は受け入れ[19]、蔵本順子は広島に帰り、1981年(昭和56年)に、当時サロンシネマを運営していた公楽産業の社長に就任した[20][補足 3]。最初に、映写技師が倒れても対応できるように、映写技師の資格を取得した[21]。その後、受付からトイレ掃除まで行った[21]

1984年(昭和59年)まで名画の供給が続いたが、供給が途絶えたことで名画座としての興行を断念[21]。同年夏以降はアート系ミニシアターとして営業を続けた[21]

その後、1986年(昭和61年)12月より、ウィズワンダーランド6階の多目的ホールを借りて、非常設館『テアトル・ウィズ』の興行を開始[22][23][24]。1989年(平成元年)にヘラルド・エーステレビ新広島とタイアップして『シネツイン』を設置[25][22]。1994年(平成6年)に、『(旧)サロン・シネマ2』を設置[26]。2005年(平成17年)に、家主の呼びかけで『宝塚4』の興行を引き継ぎ[27]、『シネツイン2』を設置[28]。2010年(平成22年)に『八丁座』を設置[29]。2014年(平成26年)に現・『サロンシネマ』をオープンさせた[30]

序破急が運営するサロンシネマ以外の映画館についても、座席や内装、音響にこだわった劇場づくりをしている[31]。それらの理由から、東京からも劇場の見学者が来る[32]

蔵本登は、その後不動産関係の会社を運営し[33]、1999年(平成11年)1月に死去[34]。蔵本順子は、1989年(平成元年)にシネツインの社長に就任[20]。2009年(平成21年)には、現運営会社の序破急社長に就任した[20]。2011年7月からは、地元映画評論家の花本マサミ死去に伴い、『蔵本順子のシネマトーク』のパーソナリティに就任[35]。女性として初めて広島県興行生活衛生同業組合の理事長にも就任している[36][20]。住岡正明は、サロンシネマ・シネツイン・八丁座の総支配人になっている[37]

2009年(平成21年)に週刊文春が行った『おすすめのシネコンランキング』で4位に選ばれ[32]森田芳光監督の『武士の家計簿』(2010年)はシネコン系に混じり売り上げ上位を確保した[38]。八丁座開館以降は、高齢者の需要を獲得し営業利益を確保している[39]。また、社員教育に力を入れ、年間340日[32]、フイルムチェックや上映する映画を決めるための試写会を行い[32]、上映後にはディスカッションを行っている[32]

2016年(平成28年)11月には社長の蔵本順子が藍綬褒章(公益活動)を受章し[40]、また中国新聞主催の中国文化賞を受賞した[36]

Remove ads

運営映画館

営業中

さらに見る 外観, 劇場名 ...

閉館済

さらに見る 外観, 劇場名 ...

脚注

参考文献

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads