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廣福寺 (玉名市)

熊本県玉名市にある曹洞宗の寺院 ウィキペディアから

廣福寺 (玉名市)
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廣福寺(こうふくじ)は、熊本県玉名市石貫にある曹洞宗の寺院である。大本山・永平寺の直末寺。小岱山観音岳の東麓に位置する。肥後西国観音霊場第24番札所

概要 廣福寺, 所在地 ...

歴史

創建の年代及び由来には諸説ある。

寺伝では、正平12年(1357年)、菊池武澄が、肥後国菊池郡聖護寺より大智禅師を開山に迎え開基したという[1]

より正確には次のようなものである。大智が招かれていた聖護寺は僧尼未分離の寺であった。そのため、大智は僧尼が分離された寺の建立を望んでいた。菊池武重の母・慈春尼は、庶子の武澄にこれを伝え、正平11年(1356年)、武澄は、石貫寺という既存の寺を、大智を開山とする曹洞宗瑩山門派の寺にすることを発願する。しかし翌年死去。武澄の妻・了悟尼が武澄の遺志に従って寺地を寄進し、廣福寺が成ったという[2]

一方、『肥後国誌』には、大智禅師は聖護寺を開いたが、戦乱の際に大智が菊池武時を寺に匿ったことから、後に肥後を再び平定した武時が、このときの大智の恩に謝するため、元徳2年(1330年)、廣福寺を開基したとある[3][4][5]

寺は菊池氏代々の菩提所として栄えたが、菊池氏の衰退とともに寺勢も衰えた。 その後、肥後に入国した加藤清正が寺領を寄進し、寺は再興された。寛永17年(1640年)までは、大智禅師が開いた加賀にある祇陀寺の末寺であったが、同年、永平寺の直末となった。

菊池氏代々の菩提所であったことから、寺には菊池氏歴代の位牌や、菊池氏に関する古文書、寺宝が数多く残る。

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境内

  • 御前水 - 寺の門前には小さな泉がある。これは豊臣秀吉が九州に下向した際に使った「御前水」と言われ、加藤清正以来、その後肥後を領した細川氏に至っても、藩主がこの辺りに出駕した際は、その度にこの水を用いたという[6]
  • 山門 - 「小岱八十八ヶ所霊場」の札が掛かる
  • 本堂 - 現在の本堂はかつての座禅堂を移したもの。往時は、100名もの僧がここに籠り、読経の声は近郊にまで響いたという[7]
  • 開山堂(菊池一族位牌堂)
  • 庫裡
  • 仇討供養塔 - 日本最後の仇討の1つ[8]に挙げられる玉名市石貫の仇討[9]で敵の遺体が廣福寺裏手の墓所に仮埋葬され、現在は仇討供養塔が建つ。

文化財

重要文化財(国指定)

  • 大智墨蹟 東谷明光除夜偈(熊本県立美術館保管)
  • 広福寺伝衣付嘱状(四通)附二十五条袈裟一領(熊本県立美術館保管)
  • 紙本墨書広福寺文書(百八通)(熊本県立美術館保管)

熊本県指定重要文化財

  • 廣福寺所蔵太平野寺・小山観音堂関係文書および正法寺絵図

玉名市指定重要有形文化財

  • 伝 道元筆正法眼蔵第十六 行持下、伝 道元筆正法眼蔵第十二 坐禅箴
  • 伝 大智筆佛法僧一行書

歴代住持

  • 開山 - 大智祖継
  • 第2世 - 禅古
  • 第3世 - 紹遠
  • 第4世 - 秀香
  • 第5世 - 了妙
  • 第6世 - 慧英
  • 第7世 - 慧廉
  • 第8世 - 恵訥
  • 第9世 - 令俊
  • 第10世 - 慶喜
  • 第11世 - 志頴
  • 第12世 - 等繊
  • 第13世 - 宗育
  • 第14世 - 梵清
  • 第15世 - 承天
  • 第16世 - 天仙祖錬
  • 第17世 - 祖天萬國
  • 第18世 - 洞明良瓚
  • 第19世 - 萬年太喜
  • 第20世 - 奇巌法泉
  • 第21世 - 春翁宗英
  • 第22世 - 龍溪太音
  • 第23世 - 廓山天然
  • 第24世 - 徳巌法潤
  • 第25世 - 素喰眞瑞
  • 第26世 - 月潭宗眞
  • 第27世 - 智旭恵賢
  • 第28世 - 泰雲俊道
  • 第29世 - 天随道悟
  • 第30世 - 琢峰癡温
  • 第31世 - 慈詮
  • 第32世 - 黙眞梁禅
  • 第33世 - 性山欽立
  • 第34世 - 活道宗俊

所在地

交通

周辺

  • 石貫穴観音横穴
  • 石貫ナギノ横穴群
  • 繁根木川 - 寺への道につながる「廣福寺橋」が架かる
  • 仁王滝(ぞうめきの滝) - 小岱八十八ヶ所霊場の1つ
  • 九州新幹線玉名トンネル

注釈

参考文献

外部リンク

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