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建部仁彦
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建部 仁彦(たけべ まさひこ、1911年(明治44年)10月8日 - )は日本の建設官僚、実業家。父は社会学者の建部遯吾。[1]
略歴
[1] 新潟県中蒲原郡横越村横越出身 東京帝国大学卒 1936年 北海道庁に入庁。 1937年 大蔵省、 1942年 陸軍省、 1944年大蔵省に出向。 終戦を経て、1947年 経済安定本部、1950年 建設省に出向。1962年 建設省 営繕局長に就任。 1964年 住宅金融公庫 理事に就任。退官後は、1967年 三井建設㈱ 常務取締役に就任。 1973年 三井建設㈱ 顧問に就任。また同時に 三井プレコン㈱ 顧問、資生堂開発㈱ 取締役を兼務。
建設省営繕局長時代、1964年東京オリンピック開催に向けて国立代々木競技場の建設に係る 当時の参議院オリンピック準備促進特別委員会[2] の議場において政府委員として出席答弁した。 ワシントンハイツ (在日米軍施設)跡地の土質調査に関連する水位調査の追加などがあり、当初の建築費予算 20億円相当に対する 電気・機械・その他土木工事費を含めた設計費の見積額 25億円の提示を受け、敷地の削減、資材費の時価見直し再検討を経ることで設計額の減額を促し、最終的に建築施工費の入札額を17億5000万円に導いたとされる。
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著書
脚注
参考⽂献
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