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建部政世
日本の江戸時代後期~明治時代前期の大名・知藩事 ウィキペディアから
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建部 政世(たけべ まさよ)は、江戸時代後期の大名。播磨国林田藩の第10代(最後)の藩主。官位は従五位下・内匠頭。
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略歴
第9代藩主・建部政和の長男として誕生したが、祖父の8代藩主・建部政醇の三男とされた。幼名は三二郎。
文久3年(1863年)4月18日、政和の死去により家督を継いだ。慶応3年(1867年)12月20日、上洛する。慶応4年(1868年)1月15日、新政府から華頂宮博経親王などの警備を命じられる。また、戊辰戦争では新政府側に与して、姫路藩征伐に参加した。明治2年(1869年)6月24日、版籍奉還で知藩事に就任した。明治4年(1871年)8月18日、廃藩置県により免官となる。明治5年(1872年)7月3日、叔父の揆に家督を譲った。なお、建部家への子爵叙爵は明治17年(1884年)、叔母婿の建部秀隆の代になされた。
明治10年(1877年)6月16日、24歳で死去した。墓所は京都市北区紫野の大徳寺芳春院。
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