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林田藩

日本の江戸時代~明治時代初期に、播磨国に所在した藩 ウィキペディアから

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林田藩(はやしだはん)は、江戸時代播磨国揖東郡にあった。藩庁として林田(現・兵庫県姫路市林田町聖岡)に林田陣屋北緯34度54分21秒 東経134度34分48.5秒)が置かれた。表高は1万石。

略史

豊臣政権下で尼崎郡代700石であった建部光重の子・政長を藩祖とする。政長は池田輝政の養女(下間頼龍の娘)を母とする池田家一族であった。池田利隆忠継兄弟の幕下の大坂の陣で戦功を挙げ、元和元年(1615年)に伯父の池田重利とともに摂津川辺郡西成郡尼崎藩1万石を与えられ大名に取り立てられた。元和3年(1617年)、宗主である姫路藩主池田家の転封により林田に移り、林田藩が成立した。

建部家外様大名でありながら、明治維新まで10代政世まで250年余りに亘り林田藩を治めた。また3名の藩主が大番頭となっている。中でも、3代・政宇伏見奉行になり、後に寺社奉行にもなっている。

7代・政賢寛政6年(1794年藩校敬業館を開いた。9代政和は大番頭として京都、二条城守護に就き、藩校敬業館振興のため、藩校の講師に河野鉄兜を迎えた。この敬業館の講堂は文久3年(1863年)に焼失ののち復興。講堂は現存しており平成4年(1992年)姫路市指定文化財に指定されている。

藩主家は明治2年(1869年)の版籍奉還後に華族に列した。林田藩は明治4年(1871年)の廃藩置県により林田県となり、その後姫路県飾磨県を経て兵庫県に編入された。その後藩主家は明治17年(1884年)の華族令子爵に叙された。

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歴代藩主

建部家

外様 1万石 (1617年 - 1871年)

  1. 政長
  2. 政明
  3. 政宇
  4. 政周
  5. 政民
  6. 長教
  7. 政賢
  8. 政醇
  9. 政和
  10. 政世

幕末の領地

さらに見る 郡名, 村名 ...

脚注

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関連項目

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参考文献

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