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建部政宇

日本の江戸時代前期~中期の大名 ウィキペディアから

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建部 政宇(たけべ まさのき)は、江戸時代前期から中期にかけての大名播磨国林田藩の第3代藩主。官位従五位下内匠頭

概要 凡例建部政宇, 時代 ...
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略歴

初代藩主・建部政長の五男として誕生した。幼名は三十郎、主水。初名は政吉。

寛文9年(1669年)12月の先代藩主で兄の政明の死去により、その養嗣子となって寛文10年(1670年)2月27日に跡を継いだ。同年12月28日に叙任する。禁裏造営奉行や寺社奉行などを務めた。絵画の才能にも優れ、狩野常信の門人となる。

吉良義央の親戚にあたる為、伏見奉行の時には、京都山科に隠棲した大石良雄の動向を警戒している[1]

正徳5年(1715年)1月26日、69歳で死去し、跡を次男の政周が継いだ。墓所は京都市北区紫野の大徳寺芳春院

系譜

  • 父:建部政長(1603年 - 1672年)
  • 母:不詳
  • 養父:建部政明(1638年 - 1670年)
  • 正室:板倉重形の娘
  • 生母不明の子女
    • 長男:建部政辰(1673年 - 1729年)
    • 次男:建部政周(1674年 - 1757年) - 建部光成の養子、のち離縁して政長の嫡男
    • 女子:内藤忠種正室
    • 女子:猪飼晴光
    • 女子:有馬氏倫正室

脚注

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