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張謇

中国の政治家、実業家、教育家 ウィキペディアから

張謇
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張 謇(ちょう けん)は、清末民初の政治家・実業家・教育家。字は季直、号は嗇庵

概要 張謇, プロフィール ...

概要

1853年江蘇省海門直隷庁常楽鎮(現在の南通市海門区常楽鎮)に生まれた[1][2]1894年、42歳で科挙制度最上位の状元となり翰林院修撰となった[3]1909年、江蘇諮議局[注釈 1]議長に推薦される。1912年宣統帝退位詔書を起草し、中華民国臨時政府の実業総長となった。翌年に北京政府の工商総長と農林総長を兼任し、1914年には全国水利局総裁となった。

張謇は中国近代化の先駆者とされ、張之洞に請われ実業家としての道に入り、中国で盛宣懐とともに紡績工場を建設、劉坤一両江総督になってからも援助を受けた。政治的には立憲派の統一党に属し中国国民党と対立した。さらに教育の分野でも活動し、中国で最初の近代的な師範学校である南通師範学校[注釈 2]や、中国最初の民間博物館である南通博物苑を創設している。それ以外にも三江優級師範学堂や南京高等師範学校(現在の南京大学)の創設にも関わった。

1903年4月25日から6月6日までの約2カ月半[注釈 3]日本を訪問。長崎から北海道まで、学校・会社・博物館博覧会などを視察している[6]。とくに学校については、幼稚園から大学、各種実業学校師範学校専門学校など20箇所以上を訪問している。また、儒学者藤沢南岳朝日新聞記者西村天囚、同内藤湖南、朝日新聞社主村山龍平、朝日新聞社長上野理一三十四銀行頭取小山健三大阪商工会議所会頭土居通夫東京高等師範学校校長嘉納治五郎東亜同文会会員岸田吟香らと交わっている[7]

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脚注

参考文献

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