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得能通昌

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得能通昌
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得能 通昌(とくのう みちまさ、嘉永5年1月25日[1]1852年2月14日) - 大正2年(1913年5月14日[2])は、明治から大正初期の大蔵官僚政治家印刷局長貴族院勅選議員錦鶏間祗候[3]

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得能通昌

経歴

薩摩藩士得能良介の長男として鹿児島に生まれ、1869年明治2年)に上京して英学を学んだ[4]1874年(明治7年)陸軍省に入り、信号士官として台湾出兵に従軍した[4]。その後、東京府属として教育行政を担当し、さらに愛知県に転任して勧業課に勤務した[4]。ついで内務省に転じて地理局に勤務し、のち兵庫県地理課長となった[4]

1883年(明治16年)大蔵省印刷局長であった父が死去すると、大蔵省権少書記官に昇進して印刷局勤務となった[4]。大蔵省三等技師、同印刷局事務次長、同事務長、同印刷局長、内閣印刷局長を歴任した[1][4]

1906年(明治39年)1月7日、貴族院議員に勅選され[1][4][5]、死去するまで在任した[6]

栄典

著書

  • 『巡回日記』印刷局、1889年。
  • 『米国巡回紀行』印刷局、1889年。

親族

脚注

参考文献

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