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荘穆王后
高麗王后 ウィキペディアから
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荘穆王后(そうぼくおうこう)は、高麗の第25代王忠烈王の正妃。モンゴル人で、本名は忽都魯掲里迷失(クトゥルク=ケルミシュ)。元の世祖クビライの公主で、1274年5月に忠烈王に降嫁した[1]。
1275年9月に生まれた長男の益知礼普花(イジリブカ)は高麗の第26代王となった忠宣王である。同年に高麗より元成公主、1294年に元より安平公主に封じられた。没後には、高麗より荘穆仁明王后、仁明王太后と追号され、1310年に元において斉国大長公主を追封された[1]。
家族
夫の忠烈王との間で2男1女を儲けたが、長男の忠宣王以外の子女は早世し、詳細は分からない。
登場作品
テレビドラマ
脚注
参考文献
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