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愛宕神社 (土浦市)

茨城県土浦市にある神社 ウィキペディアから

愛宕神社 (土浦市)map
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愛宕神社(あたごじんじゃ)は、茨城県土浦市下高津2丁目8番1号にある神社。江戸時代は愛宕権現と呼ばれていた[1]旧社格村社

概要 愛宕神社, 所在地 ...

概要

水戸街道(現在の国道354号旧道)沿いにある神社で、桜川右岸の台地斜面に鎮座する。かつては霞ヶ浦を一望できる風光明媚な場所で、愛宕神社の御神燈が灯台の機能を果たしていたという[2]

参道は旧水戸街道がある東向きに面し、手すり付きの階段が付いている[3]が、裏手の常福寺から直接入ることもできる。社殿のすぐ裏手まで駐車場や墓地が迫っている。愛宕神社の参拝者用駐車場は旧水戸街道の道向かいにあり、その隣には享保18年(1733年)建立の「下高津の道標」(土浦市指定史跡)がある。

江戸時代、下高津村の鎮守であるとともに、土浦城の表鬼門の守護とされた。桜川にかかる銭亀橋の先にある大町交差点の付近に、土浦城高津口(南門)が位置していた。

祭神

軻遇突知命
  • 神体は軻遇突知命の本地仏の勝軍地蔵である[4]
  • 火伏せの神として信仰されている。
  • 神社整理等による合併の有無は不明である[5][6]

境内社

香取神社(經津主命)、天満神社(菅原道真)、富士神社(木花咲耶姫命)、稲荷神社(倉稲魂命)の四社がある[5]。稲荷神社は高津稲荷神社の一名がある。

祭礼

夏に祇園祭が行われている。毎年2台から3台の山車が出る。

由緒

創建は天慶年間(938-947年)、平貞盛が戦勝祈願のために軻遇突知命の神霊を勧請したという[7]

戦国時代、土浦城主となった菅谷伊豫守勝貞が崇敬し、祭礼を行った。

江戸時代、寛文9年(1669年)に土屋数直が土浦城主になると、愛宕神社を表鬼門の守護とするために奉斎し、社殿等を改築したという[4]。土屋数直の奉斎を延宝7年(1679年)とする資料がある[2]

元禄12年(1699年)に社殿が焼失し、文化8年(1811年)に現存の社殿を再建した。大棟には土屋氏の家紋である三ツ石紋が配されている[4]

明治15年(1882年)4月、村社に列格した。

文化財

愛宕神社本拝殿
  • 土浦市指定有形文化財。平成13年(2001年)3月1日指定。
  • 茅葺・入母屋屋根の、本殿と拝殿が一体化した複合社殿である。
  • 茅葺屋根を維持している社殿は土浦市内では希少であり[4]、葺替事業の奉賛者の名前を記した額が側面に掛かっている。

周辺

土浦市内の愛宕神社

愛宕神社[8]
  • 土浦市西真鍋町4番地47。
  • 祭神・軻遇突知命。
  • 創建は不詳。旧無格社。境内は真鍋愛宕神社古墳、西真鍋遺跡でもある。
  • 表参道は国道125号(本来は一つ東の旧道)に面しているが、東日本大震災により幅の狭い石段が崩落したため、入口がバリケードで閉鎖されている。神社自体が閉鎖されているわけではなく、隣接する真延寺、もしくは西側の畑にある裏参道から参拝可能。
愛宕神社[9]
  • 茨城県土浦市小山崎町623番地。
  • 祭神・軻遇突知命。
  • 創建は宝暦11年(1761年)。旧無格社。道知集落の岩瀬市郎衛門が、氏神として愛宕神社を勧請、後に現地に遷座した[9]
  • 街道沿いにある下高津や西真鍋町と異なり、畑中にある農村の神社で、鬱蒼とした深い鎮守の森を持つ。

脚注

参考文献

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