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慶光院利敬
日本の神職。伊勢神宮少宮司。 ウィキペディアから
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慶光院 利敬(けいこういん よしゆき[1])は、明治時代から昭和時代にかけての日本の神職。伊勢神宮少宮司。従三位。
生涯
1875年(明治8年)、二条斉敬の子として生まれる[1]。1902年(明治35年)に慶光院盈子の養子となり、1906年(明治39年)に家督を継承した[2]。
1906年4月4日、伊勢神宮禰宜に任じられ、高等官八等(奏任官)に叙される[3]。同日年俸として420円を下賜された[4]。1912年(明治45年)5月31日に高等官七等に陞叙した[5]。以後、1915年(大正4年)12月24日には高等官六等[6]、1918年(大正7年)12月26日には高等官五等[7]、1922年(大正11年)3月8日には高等官四等[8]、1926年(大正15年)5月13日には高等官三等[9]、と順調に陞叙していった。
神宮禰宜を務める傍ら、神宮司庁会計課長[10]、官房主事兼庶務課長を務める[2]。1934年(昭和9年)6月22日には臨時神宮施設調査会の幹事[11]、1936年(昭和11年)9月3日には神宮関係施設調査会の幹事に[12]、それぞれ任じられる。
1937年(昭和12年)8月28日、神宮少宮司に任じられ、高等官二等(勅任官)に叙された[13][注釈 1]。翌1938年(昭和13年)2月19日に63歳で薨去した[15][16][17][注釈 2]。
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栄典
- 位階
- 1906年(明治39年) 5月11日、従七位[18]
- 1910年(明治43年) 3月30日、正七位[19]
- 1916年(大正 5年) 2月12日、従六位[20]
- 1918年(大正 7年) 1月 4日、正六位[21]
- 1925年(大正14年) 3月16日、従五位[22]
- 1929年(昭和 4年) 1月15日、正五位[23]
- 1930年(昭和 5年) 3月29日、従四位[24]
- 1937年(昭和12年)11月 1日、正四位[25]
- 1938年(昭和13年) 2月19日、従三位[26]
- 勲等・勲章
系譜
脚注
参考文献
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