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戸井克成

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戸井 克成(とい かつなり、1963年3月6日[1] - )は、日本プロレスラー

概要 戸井 克成, プロフィール ...

概要

サラリーマン生活を中断して、安達勝治(ミスター・ヒト)がトレーナーを務めるカルガリーのプロレス養成所で現石川県知事の馳浩らと修行に励み、1991年8月7日にW★INGプロモーション後楽園ホール大会におけるジプシー・ジョー戦でデビュー[1]。デビュー1か月後の9月12日、W★ING四日市大会でダニー・デービス英語版を破り、USWA世界ジュニアヘビー級王座英語版を獲得。

その後はPWCFMWWWSなどのインディー団体を転々とするが、度重なる試合中の怪我と内臓疾患などによりプロレスを断念。FMWではポーゴ松永同盟に所属。チーム・カナダと共闘していたが、リッキー・フジとのタッグで誤爆が続き不協和音の原因となる。軍団対抗戦にも出場したものの、リッキーとのシングル戦には敗れてしまった。

その後は再び会社員に戻るが、2001年にフリーとして復活。「新宿バトルエイド」を立ち上げて女性の為の護身術教室を開催したり、歌舞伎町パトロールに従事するほか、NPO法人新宿救護センターの理事職としてボランティア活動にも従事した。

その後キム・ドクと共に若手選手育成を行い、レッドタイガー(陳宝帥)・雷電・雅角をデビューさせた。 また自らも様々な団体へ参戦し、また定期的に福祉と格闘技の交流イベント「バトルエイド」(BATTLE AID)を開催した。

2012年7月17日、プロレス未開の地である中国へ進出。黒龍江省佳木斯市で行われた市民祭の一部(文化交流)として、バトルエイドとして総勢25名近い選手・スタッフを引き連れてプロレス興行を成功させた。

2013年7月26日、バトルエイド興行として「伝説の毒蛇」ことジョージ高野(ザ・コブラ)復活をプロデュース。

2019年現在は、プロレスリングSECRET BASE、クレージーユニオン、WWSなどのインディー団体に参戦して活躍している。

2023年より東京新宿大久保公園で初というプロレスイベント「カウント3は決して終わりではない」を開催して成功させると一般紙にも掲載されて注目を集めた。保護司にも任命され、マイノリティ救済活動など、独自の社会貢献活動を展開している[1]

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リングネーム

  • 戸井克成
  • 戸井マサル(デビュー当時)
  • 上海キッド(マスクマン)
  • トーキョータイガー(ペイントレスラー)

得意技

ダイビングフットスタンプ
プランチャ
スピンキック

入場曲

脚注

外部リンク

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